「朝の会でいい話をしなさい」〜5月になりました

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朝日が射し込む小道(パブリックドメインQ)

【朝の会でいい話をしなさい】

 新任で中学校の教員になった時、先輩から教えられた珠玉の言葉――とてもたくさんあるのですが、そのひとつが、
「朝の会でいい話をしなさい」
です。教えてくれたのは美術の先生でした。

「Tさん(私のこと)なんか社会科だからいいけど、オレなんて授業で自分のクラスの子を教えるの、週1回だよ。道徳と学級活動を入れても週3回4時間。それでどうやって学級づくりをしろって言うんだ?
 だから朝の会に、一日で一番いい話をするんだ。
 帰りの会なんかダメ。みんな頭の中は部活に行くことばかりで、浮足立って人の話なんか聞いちゃいない。
 朝の、まだ半分眠っているような無防備な頭の中へ、その日一番の“いい話”を入れていくのさ。だからオレは朝の話がすんだ直後から、次の日の朝の話のネタをずっと考えている、探している。
 毎日一話、一年で200話。そうやって精進していれば一つぐらいは、その子の心に響く話はできるものさ」

 私は素直な性質でしたので、その言いつけをずっと守ってきました。学級担任をしている間はもちろん、管理職になってからは先生方に、退職してからは30年も続けた習慣のために、今も毎日何かしらを考え、書くようにしています。習慣を守っているので、昔と同じように学校の休日は私も休むことにしています。

【それで役に立ったのか】

 そんなふうに続けてきたことですが、では先輩の言う通り「そうやって精進していれば一つぐらいは、その子の心に響く話はできるものさ」ということになったのかというと、それがよく分かりません。
 同級会などで出てくる、「先生にこんなふうに言われた」という話はほとんどがその子自身に向けられた一対一の話で、「みんな」に向けてのものは、真っ直ぐに心に入って留まる、ということがないようなのです。

 ただ稀に、教え子の話の中に「あ、それ、オレの持ちネタだ」と思うような話が出てくることがあります。私のいるところで我がことのように堂々と話しているのですから、きっと私の話だと覚えていないのでしょう。けれどそれはとても気分の良いことです。

 私の中では、聞いた側が全く覚えていないような話が下品(げぼん)、覚えてもらっていて話したのが私だと紐づいているようなものが中品(ちゅうぼん)、覚えていて誰から聞いたのかすっかり忘れてしまっているような話が上品(じょうぼん)なのです。それだけ血肉になっているのですから。
 そういう話がたくさんできたらいいなと、いつも思っていました。

【5月になりました】

 ただし先輩に言われて「朝のいい話」に心掛けるようになってから三十有余年、文章にするようになってからだけでも14年3000話。アラビアンナイトのシェヘラザードだって千一夜3年で済んだわけで、さすがに話題に困ることがあります。

 そんな時の回避策のひとつが「〇月になりました」で、その月の由来や主な行事を並べることでお茶を濁したりします。もちろん、月初めの一日こっきりの回避策ですが。
 しかし「5月になりましたは」は過去に4年連続でやったりしていますから、今日はリンクをつけるだけで終わりにしましょう。

 例えば、

 よかったら今朝、朝の会で子どもたちに話してあげてください。
「5月って、こんな月だってよ」といったふうに。