カイト・カフェ

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「正義を行う苦行者の行列」〜今週のまとめ

f:id:kite-cafe:20200423074506j:plainフランシスコ・デ・ゴヤ 「苦行者の行列」(パブリックドメインQ) 

【オマエ、地獄に行くぞ】

 高校生のころ英語の先生から、
「聖書に言う『汝、姦淫することなかれ』というのは大変厳しい概念で、例えば電車の中で『あの娘、可愛いな』と思っただけでも目で姦淫したことになっちゃうわけです。でもそんなこと言ったら私なんか毎日姦淫しているわけで、それで天国へ行けないなんて、大変ですよねェ」
とかいう話を聞かされました。当時の私は「あの娘、可愛いな」どころでは済まない妄想に朝から晩まで駆られていましたから、震え上がって「絶対キリスト教には入信しないぞ」と固く心に誓ったものです。

 大人になってからも「あの娘、可愛いね」にはかなりこだわっていて、聖書を一通り、かなり熱心に探したのですが幸いそんな文章には出会わず、キリスト教社会もそこまでは厳しくないと、ホッとしたりしました。
 そのあと、アメリカン・ポップスを聞きプロモーション・ビデオを見るようになると、戒律に厳しいどころか相当に緩い、と言うかかなりいい加減なことも分かってきます。

 すでに1950年代にはエルビス・プレスリーは腰を激しく振りながら歌っていましたし、私が育った70年代には女性歌手の衣装はどんどん面積が狭くなっていって、ついには水着みたいなものになってしまいました。
 最近ではそうしたビデオもめったに見ることはないのですが、それでもたま目にするとほとんど常に半裸です。歌手には歌唱力よりも先に“セクシー”であること、肉感的で煽情的であることが求められているようなのです。

 そこでアメリカ社会は性的なものに対してとんでもなく許容性が高いと思っていたら、今度は2004年、スーパーボールのハーフタイムショーでジャネット・ジャクソンが乳首を出してしまい、そのあと喧々囂々の非難の中、しばらく芸能活動ができなくなるという事件がありました。
 ウォーターゲート事件になぞらえてニップル(乳首)ゲートと呼ばれた出来事です。
 ここに道徳の国境の壁があったわけです。しかもとんでもなく高い壁。

 アメリカでは「あの娘、可愛いな」では地獄に行かなくて済むが、乳首を出したら地獄行き――だいぶ日本とは違います。そして理解しがたい。
 いい悪いの問題ではなく、ほとんど裸で腰を振ってもいいが乳首はダメ、という境目が私には理解できません。
 たぶんその違いをスパッと説明できる人は、日本にはほとんどいないでしょう。

【そもそも基礎が違う】

 そもそも日本とアメリカでは性のとらえ方も感覚も違う。だからそんなアメリカが生み出した“セクシャル・ハラスメント”という概念を、そのまま日本に持ち込むと難しいのではないか――それが最近、私の考えていることです。

 女性問題の現状についてすら、アメリカも日本もあまりにも誤解されています。
 例えばアメリカはレディ・ファーストの国、日本はいまだに封建的な男尊女卑の国と対比されますが、そこから私の心に馴染んでこない。

 少なくとも我が家で夫である私が前に立つとしたら、それは面倒ごとがあるときや批判の矢面に立つときです。要するに私が前に押し出されて妻は後ろに隠れている。
 私の周辺や友人を見ても、夫の背後にかしずく妻といった構図はほとんどありません。かなり男が威張っているように見える場合も、よく観察すると妻が手の上で転がしているにすぎないのです。

 日本ではサラリーマンの多くが“お小遣い制”で、給与の全部を明け渡した上で妻から毎月少額を“いただく”ことになっています。しかしアメリカは違います。
 現在はジョイントアカウントと呼ばれる共同名義の口座をもって、そこから夫婦ともに金を引き出すのが一般的みたいですが、つい最近まで、財布のひもは夫が握っていてたとえ1ドルの買い物でも、妻は夫から“いただいて”使わなければなりませんでした。今でも全体的な金の管理(例えば家計簿をつけるといったこと)は、夫がやっている家が多いようです。
 つまりアメリカは徹底的に男性優位の国で、建物や部屋への出入りのたびに女性が優先されるのも、極端な銃社会ですからまず女性を前に出して安全を確認し、それから男が出入りするためだと言われるくらいなのです。

 それに対して日本では、賢い女性たちが名を捨てて実を取った――。
 例えば、私の家は夫婦同業の共稼ぎでしたから収入はほぼ同じです。それをどう使うかは妻が決めました。
「基本的なお金と大きな支出はお父さん」
 したがって光熱費・家賃・通信娯楽費が私、被服費と食費は妻、そういう割り振りでずっとやってきましたが、しかしある日突然気づくのです。
「被服費と食費は節約できる・・・」
 家賃や光熱費など、そう簡単に減らせるものではありません。しかし被服費と食費は、どうとでもやりくりがつくのです。
 さらに子どもたちが大学に行き始めると、その仕送りと学費は私持ちとなります。「大きなお金」ですから。したがって私だけの収支を見ると、完全な赤字状態が何年も続くことになったのです。
 どこでも似たようなものですよね。これが男性中心社会のあり方と言えるでしょうか?

 私が常にセクハラ撲滅という正義に対して、強い違和感を持つのはそのためです。
「弱い女性を守らなければならない」というときの「弱い女性」が、私の場合よく見えてこないのです。

 【乱れた国の厳しい倫理】

 いやそんなことはない、アメリカは徹底的に女性を守る国で、ドメスティック・バイオレンス(DV)に関しても異常なほど厳しいという話もあります。カリフォルニアあたりでは口論の末、夫が妻の腕を掴んだだけで逮捕されてしまう――。
 しかしそうした事実をもって「アメリカは女性を大切にする国だ」と考えるのは間違いです。そうではなく、実は些細なことでも法律と警察の力を借りなければ女性を守れない、そういう国なのです。

 余談になりますが「孔孟を生み出した道徳の国だというのに、現在の中国は地に落ちている」といった言い方がありますがこれも間違いで、春秋戦国時代の中国は道徳のカケラもないほどに乱れていたのです。だから孔子孟子のような偉大な思想家が出て、高い道徳性を叫ばなければならなかった。

 日本でも武士の生きる姿を気高く説いた「葉隠」は、武士がすっかり怠惰になり、主君のための戦闘員からお城の奉公人に成り下がった江戸中期に書かれています。誰も武士道のためになんか死ななくなったから、「武士道とは死ぬことと見つけたり」なのです。

 つまり正義のないところでこそ、正義は叫ばれる。

 同じ文脈で、アメリカの法律や社会制度が弱者を徹底的に守るよう整えられているのは、本来合衆国が弱者に対して厳しすぎる国だからです。弱者を押しつぶすことに躊躇ない国――。
 だからドナルド・トランプのような男が大統領になり、多くの女性が性暴力の犠牲になり、たくさんの子どもが誘拐され殺されるのです。
 法と警察が異常な力をもって抑え込まなければ、弱者は皆、殺されてしまいます。

 そんなアメリカで生まれた法や概念を、もともと“女子どもに優しい”日本に持ち込むと、どうしても軋みが生じてきます。

【弱き者、汝の名は女?】

 昨日のビッグニュースは、「強制わいせつ容疑でTOKIO山口メンバー書類送検」(2018.04.25毎日新聞)でした。
 記事にある「山口メンバー」という表現も、なかなかのツッコミどころですが今日は触れないことにして、私はジャニーズ事務所のコメントの「お酒を飲んで、被害者の方のお気持ちを考えずにキスをしてしまいましたことを本当に申し訳なく思っております」に引っかかります。何とも言えない違和感ややりきれなさ、そして不思議な微笑ましさを感じるのです。

 山口達也の――失礼! 山口メンバーの46歳という年齢を考えると本当にアホですが、マンションの彼の部屋に行った女子高校生もまたそれなりではないかと、そんなふうに思いません?
「お気持ちを考えずにキスをしてしまいました」だなんて、高校生はそこまで子どもですか? 昭和か!?

 もしかしたらこちらが“昭和”で、今では許されないのかもしれませんが――、
 高校生にもなって男の部屋に行けば何が起こるか想像できなかったのか、
 親はどういう教育をしていたのだ?
 男の部屋に入った以上キスくらいでギャーギャー言うんじゃない
と、何か心の底から叫びたい気持ちになるのです。

 2年ほど前、男が約束の金を払ってくれなかったとかでラブホテルから警察に駆け込んだ女子高校生がいました。高校生はもちろん虞犯として補導されましたが、男の方は児童買春で逮捕されることになります。彼の人生が終わった瞬間です。
 もちろん買春の上に金を払わないという不埒な男に同情するわけではありませんが、どう見たって女子高生の方が役者が二枚も三枚も上です。この結末はやはり納得がいかない――。

 それも女性、特に未成年の女性は皆、無垢で弱いものだという前提で法律ができているからでしょう。裏を返せば「女性は弱くあるべき」「無垢でなくてはならない」――みんなで守ってあげているのだから、ということになりかねません。

 しかしいずれにしろ、そいう風潮にめげることなく、私は毅然として生きる強い女性を育てたいと思いました。