カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子どもは何から学んでいるか分からない」〜意図的教育と意図せざる教育

 もう25年も前に卒業させた中学生の「不惑同窓会」というのに招待され、行ってきました。彼らも40歳です。

 私の今住む地域にはそうした風習はないのですが、その市では20年ごとに「成人式」「不惑」「還暦」の三つの大同窓会があるみたいで、私が招待されるのはこれが二回目です。地域の伝統とはいえ、それぞれの学年を越えた同窓会組織がない中で、よく続いていると感心するとともに「還暦同窓会」に出席できる旧担任がどれほどいるかと、余計な心配もしたりしました。
 20年後は私も85歳、ちょっと微妙な年齢です。 

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 さて女性役員による「開会の辞」こそ短かったものの、働き盛りの男がステージに立つ時の常で「実行委員長挨拶」も「乾杯の言葉」もやたら長く、“オレたちはこんな間延びをした人間を育ててしまったのか”と心の中で愚痴ったりしていましたが、感心したのは挨拶の中に25年以上前の旧担任の言葉が引用されたことです。

【麻中乃蓬(まちゅうのよもぎ)】

「くねくねと曲がりやすい蓬(ヨモギ)もまっすぐ伸びる性質の麻の中で育つと自然にまっすぐになる、それと同じで、まっすぐな人間の中で成長すると人は自然とまっすぐに育つ」という『荀子』の中にある文章からできた四文字熟語で、それを実行委員長は原文「蓬生麻中,不扶自直《蓬(よもぎ)、麻中(まちゅう)に生ずれば扶 (たす) けざるも直し》」のまま引用したのですから大したものです。

 これだけ難しい言い回しを忘れないということは、担任の先生(私ではない)が繰り返し訴えられたからでしょうし、その後25年間、実行委員長の彼が生活の中で何度も何度も思い返したからに違いありません。座右の銘のひとつくらいになっているのかもしれません。

 その長い長い挨拶と乾杯の音頭の後、旧担任が一人ひとり言葉を述べるわけですが、“これはまた長くなるぞ”という私の予想に反して、それぞれ簡潔に、近況報告をしたり感想を述べたりして進みます。

【10年後の私への手紙】

 1組の元担任は「麻中乃蓬」の先生ですが、そうした話の好きな人らくしく含蓄のあるお話をされ、2組の先生はユーモアを交えて簡単に挨拶し、3組の先生も担任当時は新卒だった若々しさで(とはいえ今は50歳代)元気よくお祝いの言葉を述べられました。さらに、
「実はキミたちを卒業させるとき、T先生(私のこと)から“生徒に10年後か20年後の自分への手紙を書かせ、その時が来たら出してあげるといいよ”と教えられて、以後そのようにしてきました。だいぶ前にキミたちのところにも届いたはずです」
 その先は、“しかしそれとは別に、たまたまキミたちの作文が残っていたので今日渡すことにします”といった内容だったのですが、聞きながら私は心の中で「ヤベエ」とつぶやいていました。

 じつは「10年後の私へ」のアイデアを教えた私自身も手紙を書かせたのですが、20年前の引っ越しのどさくさの中で、紛失しまっていたのです。先週金曜日はそれこそ一日がかりで家中をひっくり返して探したのですが見つからない。
 しかたないので元生徒から催促されたら謝る、覚えていないようだったらトボケルという方針でやってきたのに、いきなりこの始末です。

 もう観念して自席で、
「ごめんね、ウチのクラスでもやったのに、どうも引っ越しの際中になくしちゃったみたいなんだよ」
 そう言うと、近くで聞いていた子がひとこと、
「先生、いただいてますよ。ちゃんと」
 郵便料金改定で不足となるので、追加で切手を貼ってあったと、そこまで覚えているのですから間違いないでしょう。
(私には仕事自体を忘れることも、仕事をしたことを忘れることも、両方あります。つまり片っ端忘れてしまう)
 謝って損をしました。しかし責任を果たせていてほっともしました。

 手紙(たぶんハガキ)を出したこと自体忘れているのですからのぞき見をしたとしても、それぞれが何が書いてあったかなんて覚えていません。
 20代の中ごろに受け取った自分の手紙から、あの子たちはどんな激励を受けたのか、ちょっと聞いてみればよかったと後で思いました。

【私はこんなふうに覚えられている】

 座がほどけて宴が盛り上がってくると、あちこちでさまざまな思い出話が始まります。
「私、今でもT先生の言ったこと覚えている」
「先生のことはしょっちゅう思い出す」
などと言ってもらえるのはいいのですが、どうも聞いていると「麻中乃蓬」みたいな立派な話ではありません。

「先生、家庭訪問のとき、ウチの母に『この子は水商売に入っても生きて行く』って言ったこと覚えてる?」
 20数年を経た積年の恨みか、と身構えたのですが少し様子が違う。
「いくらなんでも人様のお嬢さんを『水商売でもOK』とは言わんでしょ」
 そういうと、
「水商売じゃなかったかもしれないけど、それに近いこと言われた。それでいつでも、何やっていても『私は何とかなる』、そう思って今日までやってこれた――」
 なんだかいい話なのかそうでないのか、よくわかりません。

 そうかと思うと、
「私、カレー食べるたびに先生のことを思い出す。先生が泣きながら食べてたこと」
“何だいソリャ?”みたいな話です。心当たりもなければおよそ私らしくもない。生徒の前で泣いたことがないわけではありませんが、カレーを食いながらというのはイメージにはまってきません。そこで訊くと、こういう事情でした。

 調理実習のある日に、私の連絡忘れから給食のカレーが一クラス分まるまる届いてしまった。すでに満腹の生徒に頼み込んで少しずつ食べてもらったが、さすがに二食続けては生徒も食べきれずかなりの量が余った、それを私が泣きながら食べたというのです。
「オレの責任だから何とかするって言って、泣きながら食べて、結局完食した――」
 泣きながらかどうかわかりませんが、それだったらありそうなことです。”給食を残さない”は当時から私のクラスの級是(国是みたいなもの)でしたから、残菜を出さないためにそのくらいはしたかもしれないのです。

【意図的教育と意図せざる教育】

 学校教育は基本的に意図的教育です。それぞれに目的があって目標もあり、活動は評価され、再構築されなければなりません。
 例えば1組の担任の先生のように「麻中乃蓬」を紹介し、繰り返し検証させながら、クラスの団結力や質を高めていこうとするのがそれです。
 ところが子どもたちは、そこから学んでいるだけではないのです。

 水商売云々はともかく(やっぱ言ってないよなァ?)、保護者に伝えた「この子は心配しなくていい、必ず何とかできる子だ」というメッセージは本人に横取りされ、人生の杖になります。
 泣きながら(?)カレーを食べていた私の姿は、食べ物を粗末にしない姿勢に、わずかながらでも繋がっているのかもしれません。

 子どもは私たちから何を学んでいるか分からない――教員に高すぎる道徳性や人間性を求められても困りますが、やはり居住まいを正し、緊張して子どもの前に立たなくてはいけないなと、改めて思いました。