「結婚は“生き直し”、子育ては“生まれ変わる”こと」〜ベストセラー「宝くじで1億円当たった人の末路」から

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 題名に惹かれて(というより騙されて)、最近とみに売れているという「宝くじで1億円当たった人の末路」(日経BP社 (2017/3/25))を読みました。悪くない本ではあります。

“騙されて”というのは、題名から「宝くじに当たった人々の様々なその後」みたいな本かと思ったのですがそうではなく、「事故物件借りちゃった人の末路」とか「キラキラネームの人の末路」とか「『友達ゼロ』の人の末路」等々、「1億円当たった人」と同様に人生のある場面で特別な状況に立たされた人、一般的でない重要な決断をした人などが、結局どうなっていくのか、その代表的な例を専門家に聞く、というものだったのです。

 おまけにほんとうに面白いテーマは最初の方だけで、後半に行くにしたがって、「癖で首をポキポキ鳴らし続けた人の末路」だとか「8時間以上寝る人の末路」とか、あるいは「いつも不機嫌そうな上司の末路」とか、この話題に興味を持つ人がどれくらいるのかと首を傾げる場面も少なくありません。
 その意味でも“騙された感”はあります。

 

【学ぶことも多い】

 もっとも360ページもある本を読んで、なんの益もないということもそうはないのであって、「宝くじで1億円当たった人の末路」では「(異常な高額年俸で知られる)プロバスケットボールNBAを引退した人の60%は5年以内に破産している」とか、「事故物件借りちゃった人の末路」では「強盗殺人事件の起きたマンションなどは往々にして、防犯上の問題を抱えている。転落死亡事故の起きたマンションなら、バルコニーの造りに問題があったりします」とか、さもありなんといった話題が次々と出てくる他、私自身が、
「そもそも安いというだけの理由で事故物件を平気で借りられる人は、それなりに特殊だし、特別な生き方をし、特別な人生観・人間観そして特別な人間関係を持っているに違いない。だとしたらその人には特別のことが起こりやすい――、そういうこともあるだろう」
とそんなことを考えながら、ひとりで悦に入って楽しむこともできました。

 ただ、しかし「子供を作らなかった人の末路」というのはいかがなものか。

 

【子供を作らなかった人の末路】

 文中にも、
「子供がいない理由は人それぞれです。パターン分けすると大体、次のようになります。子どもをつくらないと積極的に決めた人たち。ほしくないわけではなかったが、結果として授からなかった人たち。子供が欲しくて不妊治療などの努力を尽くしたにもかかわらずできなかった人たちです」

とあるように、ここでは「子供を作らなかった人」と「子供ができなかった人」が混同されています。しかし前一者と後二者とでは性質がまったく異なるでしょう?

 宝くじは「買わない」という意志決定によって「一億円当たった人の末路」を回避することができます。「事故物件借りちゃった人の末路」もやはり「借りない」という方法で避けることができる。しかし「子供ができなかった人」まで含めて「作らなかった人」と括ってしまうと、人はどうやってその状況を回避できるというのでしょう?

「末路」を語るなら内容を「癖で首をポキポキ鳴らさない」とか「8時間以上寝ない」とか、あるいは「いつも不機嫌そうな顔をしない」とか選択ないしは改善できる限るべきであって、“努力したにもかかわらず、そうであるような状況”に対して“末路”というのは、あまりにも不見識だと思いました。

 そしてさらに言えば、人生を語るなら当然あってしかるべき項目が、この本にはないことに、私は少し首を傾げました。
 それは「意識的に結婚しなかった人たち」「努力すべきときに努力しないというかたちで消極的に結婚を回避した人たち」の、その後の生活はどうなのかということです。

 

【結婚しなかった男たちの末路】

 なぜそれが気になるのかというと、私の周辺にも教え子にも、結婚しないことを自ら選び取ったような、(選んだと思われる)男の子がゴマンといるからです。

 もちろん同じように独身女性もたくさんいますが、彼女たちはノウノウとひとり身を続けているわけではない。親の介護がある、女ひとりで男社会に立ち向かっている、結婚に向けて今も努力している、そんな印象があるだけで、だらしない感じはしません。
 ところが多くの男の子たちはノウノウと生きている、“周りが動いて何とかしてくれれば乗ってもいい”といった程度の情熱しかない、“このまま独り身かな?”と漠然と考えている印象しかない、つまりだらしないのです。

 

【いつか、教えてくれ】

「結婚しろ」みたいな話を女性に対してするとセクハラだそうですので(どうしてだろう?)、男性のみに対して言うのですが、
 結婚はしてもしなくてもいい、個人の権利だから。
 しかし結婚しないと決心するなら、その行く末についていつか私に教えてほしい。
 それはどうだったのか――。

 私自身は結婚を“生き直す”ことだと考えてきた。
 ひとつの生き方をしてきた“私”が、別の生き方をしてきた“妻”と一緒になることで、様々に調整し、整合させ、昔の自分を残しながら妻とつくった新しい鎧を着て、人生に再び出ていく、そういう“生き直し”だと思ってきた。

 また、
 子を持ち、育てることは、それ自体が繰り返し生まれ変わることだと感じてきもした。
 乳幼児の父親であること(それはまた「乳幼児の母親」の夫であることでもあるのだが)と、小学生の父親であることはまったく違う。低学年と高学年でも違う。
 中学生の父親である時に求められることと、高校生の父親である時期にそうあらねばならない姿もまた異なる。子がおとなになっても、その時期その時期で求められるものは変わってくる――その度に、私たちは繰り返し脱皮し、違う自分を獲得しなくてはならなかった。

 結婚し子を育てるということは、そうした否応なしの変化を自ら受け入れるということだ。

 それを拒否して君が非婚・非親業の道を選ぶなら、君の前には何があるのか――、遅くてもいい、必ず教えてほしいものだ。
 この本に書いてないから。