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「金が減るのも残るのも嫌だ」~やはり宝くじの高額当選者は思ったほど幸せではない

宝くじの高額当選者の話を読んだ。
人は何億円もの金を手に入れても、あまり生活を変えないようだ。
よく考えてみるとそれもありがちなこと。
しかしそうなると、高額当選者であることの意味は何なのだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【10年前、宝くじで6億円当たった男はどう生きたか】 

 スポーツくじで6億円当てた男性が、その後の10年間を語るという文春オンラインの記事を面白く読みました。

bunshun.jp

bunshun.jp 要点は次のようなものです。

  1. “宝くじ当選者のヤバイ末路”みたいなことにはならず、生活はほとんど変わっていない。
  2. とりあえずそのうちの5億5千万円分は、すぐに銀行に金融商品を買わされた。
  3. そのとき銀行から紹介されたのが資産100億円という人で、以後、6億円はサッパリ金持ちではないという気になった。
  4.  のちに高級車や高級時計、タワマンを購入したが、タワマンは投資目的で住宅ローン控除を使うため、ローンを組んで今も払っている。
  5.  相談するために知り合いの金持ちには打ち明けたが、当選のことは家族以外の誰にもしゃべっていない。
  6.  親から“身分証明くらいのつもりでサラリーマンは続けろ”と言われたこともあって、今も続けている。「デキないヤツ」と思われるのが嫌なので手を抜いたりはしない。
  7. もともと資産運用が趣味だったこともあって、現在は6億が6億5000万円くらいになっている。
  8.  普通の生活をしているつもりだが、それでも生活の一部が見えてしまい、「なかやってるの?」と訊かれることはある。そんな場合は「投資でちょっと」とボンヤリ答えるようにしている。「儲け方を教えてよ」と乗っかってくる同僚には「300万円くらいないと始められない」「何かあっても責任は負えない」と言って逃げることにしている。

――なるほど。タワマンだけでなく高級車も高級時計も半ば投資目的ですから、この人、そちらに興味や才能がなければ、結局何も買わなかったのかもしれません。

【私だったら――】

 私だったら、と考えてみたものの、やはり似たようなことにしかならない気がします。
 豪遊したり女性を侍らせたりすることには興味がありませんし、高級品に対する思いもありません。一流のレストランで最高の料理を食べるといったことも、慣れない場で窮屈な思いをすることを考えると、気の進む話ではないのです
 投資への興味も才覚もありませんから6億円は手つかずのまま。この先どうするといった目途も立たず、ただ何とはなしの不安におびえながら暮らす、そういったところが関の山でしょう。

 ただ、当選した時点で仕事が苦しくてしょうがないようだと、サラリーマンを続けるのは難しくなるかもしれません。辞めたあとは再就職への意欲もわかず、6億円をつまらないことに使い始める、といったことはあるかもしれません。
 しかしそれでも、なんとなく思うのは、リュックサックひとつを担いで放浪の旅に出る、といったことです。一か所に留まれば浮浪者ならぬ“怪しい不労者”ですから生きていくのが難しそう、旅をしながら贅沢もせず、気の向いた時に気の向いた働き方をして、10年も経てば次の生き方も見えてくるでしょう。一生そのままでも構いませんが。

 そう考えていくと、宝くじで高額当選したところで、皆が人生を間違って没落していくわけではないことが、自然と分かってきます。記事の男性は両親に毎月30万円を上限に自由に使えるカードを渡したそうですが、それもほとんど使われていません。人間なんてそんなものです。むしろ堅実なまま人生を送る人の方が多いのかもしれません。

【人生を誤る人とそうでない人】

 ところが一方、アメリカでは成功したスポーツ選手の7割以上が引退して数年後に自己破産すると言われています。NFLアメリカンフットボール)選手の78%が引退後2年以内に困窮状態に陥り、NBAプロバスケットボール)選手の68%は5年以内に破産すると言われています。日本円で100億~200億が一瞬の間に消えてしまうようなものです。
 日本でも年俸およびスポンサー契約で30億円は稼いだと言われるプロ野球選手が、引退の翌年には自己破産したという話もありました。
 では6億円当てた記事の男性とアスリートたちの間で、何が違ったのでしょう?

 おそらくそれは高額所得者であることが人に知られているかいないかだけの違いだったと思われます。金持ちだと知られていればさまざまな人が近寄ってきます。まず銀行家が、続いて証券会社が、遠縁の親戚が、あるいは良からぬ人たちが――さまざまな動機でさまざま話をもって。
 生まれながらの金持ち(の子女)だったら小さなころか対処法を学んでいますから大丈夫でしょうが、アスリートや宝くじの高額当選といったにわか成金だとひとたまりもありません。

 普通の賢い人なら、宝くじで大きく当てても人に話したりしません。10万円程度の当選なら自慢してもかまいませんが(被害は数十万円で済む)、数千万円から億越えとなると普通は黙ります。高額当選者であることがバレないように、金遣いにもより慎重にならざるを得ません。その結果、生活は昔のまま、はた目にはまったく変わりないように見えるのです。

【やはり宝くじの高額当選者は思ったほど幸せではない】

「“いつ仕事を辞めてもいい”という状況は大きなアドバンテージだ」と6億円を当てた記事の方はおっしゃいます。よく理解できるところです。しかし「だからむしろ良い仕事ができる人」と「雑になってしまう人」の違いはあるのかもしれません

 記事の中で、インタビューアーの「お金への警戒心から人間関係が築きにくいみたいなことはないですか」という問いに、この人はこんなふうに答えています。
「それはありますね。恋人もずっと作っていないですし、当然、結婚もしていません」
――金を盗られるのが心配というよりも、大金があることを知られて人間関係がガラッと変わってしまうのが恐ろしいのかもしれません。

 この記事を読んで特に心が残ったのは次の2点でした。

  • お金が減ることにすごい痛みを感じるので、少なくとも当たった金額を維持したい。
  • 「DIE WITH ZERO」みたいな、一銭もお金を残さずに死にたい。

 これは6億円など、雲の上のさらにその上、といった私でもよくわかる話です。いまより多くは望みませんが、今あるものが目減りすることにはたいへんな抵抗があるのです。老人が貯蓄を消費に回さないのは老後に不安があるからだなどという人もいますが、そうではありません。もっと本能的なものです。それなのに全部が遺産になることにも耐えられないのです。

 そんな大きな矛盾を、私の何十倍もの規模で抱えて、しかも今後、私の何倍も生き続けなければならないこの人――。やはり宝くじの高額当選者は思ったほど幸せではないようです。