今年2月13日にマレーシアのクアラルンプール国際空港で起こった「金正男暗殺事件」の実行犯である二人の女性の裁判が始まりました。
2月・3月と雪崩のように押し寄せてきた事件情報も、正男氏の遺体が北朝鮮に渡ってからはピタリとやみ、以後あまりも報道されずにきました。そのため、まだわずか8カ月前の事件だということも、すっかり忘れてしまうところでした。
【暗殺事件の大きな二つの謎】
いくつかの謎が放置されたままでした。
中でも最大のものは、「金正男氏はVXを塗られてからわずか15分ほどで息絶えたというのに、容疑者の二人はまったく元気で生き残った、それはなぜか」という問題です(二人とも犯行後はいったんは具合が悪くなり、アイシャ被告は何回か吐いたという話はありましたが)。
手袋をしていたという説、しているようには見えない映像、二人の女性が別々の薬品を塗り被害者の顔の上でVXを合成したという説、そんなことでVXはできないという専門家の話、もしできたとしてもあとから塗ったフォン被告の手にはVXが残っていて、フォン被告も死んだはずだというごもっともな説――まるっきりどう考えたらいいのか分からないこの事件の核心について、第一回裁判は簡単な答えを出してしまいました。
【VXは洗えば落ちる】
(マレーシアの化学兵器分析当局の)スブラマニアム氏は「VXの成分は、(2人の場合のように)手のひらに塗っても15分以内に流水でしっかり洗えば中毒を避けることができる」と語った。実際、アイシャ被告とフォン被告は金正男氏の顔にVXを塗った後、トイレですぐに手を洗ったことが分かっている。
え? そんなに簡単なことなの?
でもそうなると金正男さんの死は早すぎない?
攻撃を受けた金正男氏の立場からすると、VXが目に入り、網膜を通じてすぐさま神経に作用するため致命的だ、とスブラマニアム氏は証言した。
(2017.10.08朝鮮日報「金正男殺害:女2被告からVX検出」)
↑リンクが辿れなくなりましたので下に転載しました。
日本のマスメディアでは“VXはほんの数滴皮膚についただけで死に至る恐怖の化学兵器”だったはずです。そこに15分ルールがあるなんて誰も言わなかった、15分ルールさえ知っていればあんな長い時間を使ってああだこうだ議論する必要はなかったはずだ、そんなふうに思いました。
科学者というのは、いい加減なのか、私たち情報の受け手の反応が読めないバカ者なのか、そもそも分からないことを「分からない」と言えない高慢ちきなのか――。
あの松本サリン事件の際も、「サリンは特定の薬品さえあれば家の裏庭で、金属ボウルを使って簡単に合成できる」と言った馬鹿科学者がいて、そのため多くの国民が河野さん真犯人説に傾いて行ったというのに、当時の上九一色村の第ナントカ・サティアンの巨大プラントを見たら、そんなたわごとは簡単に吹っ飛んでしまいました。
そのサリン直前の「特定の薬品」を作るためには、とんでもなく巨大な装置が必要だったのです。ちょっと科学に詳しい普通の人(=河野さん)程度にできるはずがない、そんなに簡単にできるようだったら日本中でサリン事件は起こっていたはずだ――あとから考えると至極当然な話でした。
それを検証できなかったマスメディアもアホです。
【本当は完全犯罪だった】
もうひとつ、
「なぜあんなにたくさんの防犯カメラがある空港で事件を起こし、しかも工作員4人ともまんまと素顔を撮影されてしまったのか――」
その答えも簡単でした。完全犯罪(になる)はずだったからです。
事件があれほど大きく報じられ、瞬く間に世界に広まったのは、要するに亡くなったのが金正男だったからで、ただの北朝鮮のオッちゃんだったらどうということはなかった、同じ日に世界中で死んだ何万人ものひとりとして誰も気に留めなかったと、そうなるはずだったのです。
実際、空港で突然具合が悪くなって死んだ男が持っていた旅券は「北朝鮮の外交官 キム・チョル」名義であって顔写真も彼のものです。北朝鮮のVIPがボディーガードも連れず、デイバッグひとつでのこのこやって来るなんて誰も思いません。
身元を明らかにするものが旅券だけなら空港職員は当然北朝鮮大使館に連絡し、大使館員が遺体を受け取って本国に移送する、それで終わりです。空港内の防犯カメラを点検しようなどと、誰も考えるはずがなかった。
――とんでもない手違いが起こらなければ。
その(北朝鮮にとって)致命的なミスを犯したのは、4人の工作員でも2人の実行犯女性でもなく、金正男氏が助けを求めた案内カウンターに真っ先に呼ばれた、ズルカルナイン(31)という警察官でした。
事情を聴いたあと2階下のクリニックまで案内したズルカルナインは金正男氏の身元を確認する際、そこにあった国名「Democratic People's Republic of Korea(朝鮮民主主義人民共和国)」を「Republic of Korea(韓国)」と混同し、表記の後半部分のみを報告書に記載してしまったのです。
そこでマレーシア政府は事件直後、空港で死んだ男に関する書類を北朝鮮より先に韓国政府に照会、金正男が「キム・チョル」名義の旅券を使用していると知っていた韓国政府から情報が漏れ、事件は一瞬にして世界中に知れ渡ったのです。
(以上、2017.010.07 毎日新聞「正男暗殺 勘違いから表ざたに」 より)
千慮の一失というのはこういうことを言うのでしょう。
【報道は詰めが甘すぎないか?】
10月8日の日曜日夜、フジテレビ系列で「衝撃スクープSP 金正男暗殺の真相 〜北朝鮮・史上最大の兄弟ゲンカ全記録」 という番組をやっていました。「史上最大の兄弟ゲンカ」とはまた民放らしい品のない副題ですが、内容はしっかりしたものでした。これまで日本のマスメディアに載ってこなかった映像もかなりあって見ごたえのあるものです。
しかしそれにしても、今月5日から二人の実行犯女性の裁判が始まることはわかっていながら、なぜフジテレビはその中身を確認してから放送内容を練り直すことを考えなかったのでしょう?
番組では実行犯の二人がVXで死ななかった理由を、例の「顔で合成」説で説明しました。しかしそれが不合理であることは前述のとおりで、裁判の冒頭で語られたことを参考にすれば簡単に答えの出た問題です。
それを参照しない。
2月から3月にかけてあれほど熱心に報道して謎を解こうとした各局マスメディアが、5日のマレーシア高等裁判所の初公判についてほとんど無関心だったのはほんとうに不思議です。
いくら総選挙の報道で忙しいからと言っても、ここまで無視されることにびっくりしています。
金正男殺害:女2被告からVX検出、マレーシア
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄に当たる金正男(キム・ジョンナム)氏を殺害した罪で起訴された被告2人の着衣や身体から化学兵器の神経剤「VX」が検出されていたことが、2人の裁判で初めて明らかになった。
「THE STAR」紙などマレーシアのメディアによると、首都クアラルンプール郊外のシャー・アラム高等裁判所で今月5日に開かれた公判で、マレーシアの化学兵器分析当局のラジャ・スブラマニアム氏は「殺人容疑がかけられているインドネシア人のシティ・アイシャ被告(25)のノースリーブシャツと、ベトナム人のドアン・ティ・フォン被告(28)のTシャツおよび爪から、神経剤VXの成分が検出された」と証言したという。
この証言は2人の殺人容疑を直接裏付ける最初の直接証拠だ、と現地メディアは報じている。
5日の公判では、致命的な神経剤VXを使ったにもかかわらず、2人の被告が無事だった理由も一部解明された。
スブラマニアム氏は「VXの成分は、(2人の場合のように)手のひらに塗っても15分以内に流水でしっかり洗えば中毒を避けることができる」と語った。
実際、アイシャ被告とフォン被告は金正男氏の顔にVXを塗った後、トイレですぐに手を洗ったことが分かっている。
逆に攻撃を受けた金正男氏の立場からすると、VXが目に入り、網膜を通じてすぐさま神経に作用するため致命的だ、とスブラマニアム氏は証言した。
また同日の公判に先立ち、今月3日に開かれた公判では、金正男氏の遺体を解剖した結果、顔や目、血液、尿、着衣、かばんなどからVXが検出されていたことが明らかになった。
金正男氏の遺体は、VXの影響で脳や左右の肺、肝臓など多数の臓器が損傷した状態だった。
2人の被告は、今年2月13日にマレーシアのクアラルンプール国際空港で、金正男氏の顔にVXを塗って殺害した疑いが持たれている。
次の公判は今月9日に開かれる。
【日時】2017年10月08日 09:04
【ソース】朝鮮日報