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「軽々に判断してはいけない」~仙台 中学生自殺事件③(最終 )

「仙台 中学生自殺事件」のような「いじめ」がらみの自殺事件があると、学校や教育委員会は大変な非難を受けることになります(不思議なことにこの国では、加害の児童生徒やその保護者が非難されることはありません)。

 特に担任教師は鬼畜のごとく扱われ、現代のことですからあっという間に個人が特定され、ネットに名前が曝されたりします。もちろん彼らに責任がないわけではありません。しかしそうした私刑にあっていいほどには、彼らは悪くないと私は信じています。

 元教員だから身内をかばっているというのではありません。身内云々よりもまず、私は日本人を信じているからです。

 この国は平和で穏やかであって、ここに暮らす人々はみんな親切で優しい。清潔と規律を重んじ、仕事に熱心で誠実で、他人の痛みや苦しみに敏感である、多少シャイで、他人の思惑を必要以上に気にするため、差し出す親切や支援の手が遅れることもあっても、人が苦しんでいる様子を平然と見過ごすことのできない、それが日本人だと思うのです。

 教師ももちろん同じで、この国にあってひとり教職に就く者だけが冷酷で、子どもの苦しみにも鈍感などといったことはないと思うのです。

 ただしそれにもかかわらず、いったい何を考えてこの教師はあんなことをしたのか、理解できなくなる場合もあります。

 今回の「仙台 中学生自殺事件」について言えば、本人や保護者が何度も「いじめ」の訴えをしたのにもかかわらずいちいち両成敗みたいな話にさせられたり放置されたこと、口にガムテープを貼る、頭にゲンコツを食らわすといった弱者に鞭打つ行為が繰り返されたこと、そして「いじめ」の事実が隠されたことなどです。

 そう思ってみると教師の、こんなふうに強者に甘く弱者に過酷な横暴といった話は昔からあって、例えば「葬式ごっこ自殺事件」と呼ばれる件はその典型であり先駆的なものだったと言えます。

 

【葬式ごっこ自殺事件】

 事件は1986年2月、岩手県盛岡駅で東京都杉並区の中学2年生S君が自殺したことから発覚しました。自殺現場に落ちていた遺書には「このままだと生きジゴクになっちゃうよ」と書かれてあって、当時「生き地獄」はしばらく流行語のように扱われました。

 事件のあらましについてはWikipediaには次のように書かれていて、簡潔であると同時に事件の一般的な受け止めが分かるのでその部分をそっくり引用します。

 男子生徒は、2年生に進級した後に級友グループから使い走りをやらされるようになった。 生徒は祖母にこのことをもらした。それに対して祖母は使い走りをきっぱり断るように言ったという。やがていじめに遭うようになり、それが徐々にエスカレートし、日常的に暴行を受けるまでになった。さらに、そのいじめグループらの主催によって学校でその男子生徒の「葬式ごっこ」が開かれることとなる。その「葬式ごっこ」には担任教師ら4人が荷担し、寄せ書きを添えていた。荷担の理由として「どっきりだから」といじめていたグループに説明されたから記載したと釈明した。それがきっかけとなり男子生徒は学校を休みがちになり、のちに自殺することになった。

 マスメディアの第一の仕事は弱者の側に立って事実をきちんと報道することです。したがってこの事件も初期においてはS君の立場から報道されることがほとんで、クラス全員から背を向けられ、教師にまで見捨てられた最悪の自殺事件として世に知られました。
 しかしこの、どこにも救いのなさそうな事件ですら、詳細に調べるとさまざまに分かってくることがあるのです。

 

【加害者の目から】

 例えば使い走りのことにしても、これはいじめグループがS君を釣り上げて、自在に使っていたというような話ではありません。
 自殺した中学校2年生の1年間(正確に言えば自殺した2月1日までの10か月間)の大半を、S君はそのグループの一員として過ごしていたのです。

 一学期にグループが別の生徒をいじめていた時、S君はむしろ「いじめ」の盛り上げ役でした。10月に彼らがバンドグループを結成したときにはリードボーカルとドラムスという花型のパートを任されていますから、その時期でも決して疎んじられていたわけはないでしょう。

 葬式ごっこの行われた11月には、彼らを中心としたクラスの荒れが進んで授業を抜け出す生徒もあとを絶ちませんでした。そこで保護者による廊下での見守り活動が始まるのですが、そんな折、遅刻したS君が肩をそびやかして廊下を歩き、ドアを蹴飛ばして教師に食って掛かる場面が目撃されています。S君は内部でこそ今で言う “いいじられキャラ”でしたが外部に対してはあくまでも強気な、ちょっとした不良グループの正規メンバーだったわけです。

 使い走りの件にしても、彼らはしばしば買い食いをする際に金を出さなかった者が買いに行くのがルールでした。S君は月に2,3千円の小遣いをもらっていましたがすぐに使ってしまい、いつも金のない状態でした。ですからいつの間にか“買い物に行くのはS”ということになってしまっていたのです。別の言い方をすれば金を出さない分、労力で支払っていたのです。
 その関係が急速に崩れていくのは11月下旬以降のことです。

 きっかけはS君が買い物の釣銭を着服したこと、そして親に仲間を売った(と彼らは解釈した)ことです。
 ずっと仲間として扱ってきたのに、釣銭を繰り返しちょろまかしていたことが明らかとなり、親が「ウチの子を悪の道に誘うな」みたいな言い方で自分の家に乗り込んでくる――S君が親に対して自分たちを悪く言っているのは明らかでした。
 どんな場合も“裏切り”は最大の「悪」です。一緒に悪いことをやってきたのに今さら自分だけ“いい子”になろうなんて以ての外です。これだけでも制裁を受けても仕方ないと彼らは考えます。

 その上でさらに決定的な事件が起こります。それはS君がこれまで全く関係のなかった別の生徒たちと「元旦に初日の出を見る会」を勝手に企画・遂行してしまったのです。完全な足抜けです(と彼らは思った)。
 標準的なチンピラグループではボコボコにされて仕方のない完全な裏切り行為です。高校生以上だと、瀕死になるまで殴られてようやく足抜けという手順になります。それが通過儀礼なのです。
 S君はしかし、自死という形でそれを免れた――。

 

【教師たちは――】

 教師たちは何をしていたのか。

 実は彼らは何もしなかった、何もできなかったのです。
 私はよく、
「“クソババア”には指導はできない」
という言い方をします。
「“クソババア”と呼ばせて平気な関係が日常になると、指導というものは全く入らなくなる」
という意味です。

「クソババア」と言った後には「ありがとうございます」も「ハイ、分かりました」も「すみません」も絶対に入りません。来るのは「ふざけるな!」「うるせぇ!」「ほっとけ!」、そういった拒絶と対抗の言葉だけです。

 S君のクラスは11月に保護者の見守り活動が行われるほどに荒れており、S君ですら教師に噛みつくまでになっています。「葬式ごっこ」が好ましい遊びでないことは当然ですが、すでにクラスの多くが関わっていることを、ひっくり返すには巨大で爆発的なエネルギーが必要なのです。“クソジジ”扱いされている教師にできることではありません。

 修羅場となってもその子たちと本気で対決しなければならない場は他に必ず来る、もっと重要な問題が目の前に置かれる日がきっと来る――そのことを考えたら「葬式ごっこ」くらいでムダにエネルギーは費やしたくない、対決したくない、一刻も早くこの場を逃れたい――。それが追悼の色紙に“記帳”した4人の教師のホンネだったのです。

 子どもたちも、すでに制圧した教師だけを狙ってサインをさせたのであり、未処理の教師には声をかけていません。

 

【だから許せという訳ではない】

 無理ない事情があったから加害の子どもや教師を許せというのではありません。
 世の中で「ありえないこと」が起こることは普通はありません。ありえないことですから。
「あってはならないこと」も滅多には起こりません。それにもかかわらずそれが起こったとしたら、そこには分析すべき何らかの事情があるのだから心して向かえということです。
「教師がバカだから」とか「保身のためだ」とか言ってる限りは、本質的な原因分析や対応策など生まれようはないのです。

 例えば次の記事みたいに。

 「なぜ教育委員会の対応はいつも不誠実なのか 『いじめはある』を大前提にすべき」(2017.06.06 JB PRESS)

(この稿、終了)