カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「時間軸の問題」~仙台 中学生自殺事件」②

 学校における「いじめ」が社会問題となってから少なくともすでに30年にはなります。
 この間、子どもたちも学校もたくさんのことを学びました。

 子どもたちは「いじめ」がいかに残酷な仕打ちであるか、重大な人権侵害であって時には友だちを死に追い込むこともあるということ、決してやってはならないことだということ、それらを学習しました。
 学校については、「いじめ」の指導がどれほど重大で喫緊の課題なのか、それに誤るとどういうことになるのか、嫌というほどしっかり学ばされた期間とも言えます。
 しかし自殺を引き起こすような深刻ないじめはなくならなかった――。

 さらに言えば(冷淡な言い方になりますが)学校にとってこの30年間は、「いじめ」を含む指導の在り方や外部対応が定式化した時期とも言えます。
 つまらない部分から言えば、記者会見は午前と午後の二回開き(夕刊と朝刊のそれぞれに合わせるため)必ず3人以上で対応することとか、謝罪は直立してからいったん静止し、上体を45度以上傾けて10秒以上静止することとか――多くは他の業界の謝罪会見から学んだものですが、都道府県あるいは市町村の中にはそういう専門家も次第に現れ始めました。

 そしてそうした定式の中には、(外部の人は驚かれるかもしれませんが)「いじめ」の有無を絶対に隠ぺいしてはならない、のちのちそれがバレると大変なことになる、というのもありました(*)。
 今、問題となっている「仙台 中学生自殺事件」の第一報で、私が強い違和感を持ったのもそのためです。

*これについては苦笑いしたくなるような思い出があるのですが、10年ほど前、当時勤務していた信じられないくらい平和な学校で、「いじめ」の実態などひとつもないのに「ゼロ」と報告することが躊躇われ、しかたないのでどうでもいいようなイジワル事件をようやく3件掘り出して県に報告したことがあります。
 「いじめ」の絡む重大事件のあとの調査で、認知数が突然跳ね上がるのには、こうした事情もあるのかもしれません

 

【校長の過ち】

 メディアがすでに生徒の訴え(「悪口を言われたり、物を投げられたりした」「冷やかしや無視をされた」)を掴んでいるにも関わらず、学校(この場合は校長)が平然と
 いじめとは捉えておらず、「関係する生徒から事情を聴いて指導し、問題は解消された」と説明
できなたのはなぜか。
 危機管理という点では大変お粗末ですが、おそらく校長は本気で「問題は解消した」と信じていたのです。この段階で当該生徒に関するかなりの情報を掴んでいてその上で「問題はない」と踏んだのです。

 ところがわずか三日後に前言は翻されます。
 4月29日の記者会見で、校長は男子生徒に対する一連の行為を「トラブル」と表現。「トラブルはその都度指導して解消した。いじめには発展していないと判断した」と説明した。
 1日の会見で校長は「事実関係を詳細に把握していない部分もあり、いじめと認定するかどうか迷ったまま(4月29日の)会見に臨んだ。いじめと言うべきだったと反省している」と釈明した。(05/02 河北新報

「危機管理という点では大変お粗末」と言ったのはそのためです。
 いくらたくさん情報を持っていたとしても知らないことはいくらでもあるのです。それに事態は常に動いていますから、今手に入れた情報は次の瞬間には古くなっています。
 学校が昨年6月と11月に実施したいじめに関するアンケートに対し、死亡した生徒は「悪口を言われたり、物を投げられたりした」「冷やかしや無視をされた」と回答していた。
 その件については
「関係する生徒から事情を聴いて指導し、問題は解消された」
かもしれません。しかしそれ以降に起きたことについて、学校はしっかりつかんでいたのか、生徒から事象を聴いて指導し、問題は解消したのか――。
 二回目の会見で校長が前言を翻したのは机の上に「死ね」との文字が書かれていた事実があったためですが、それは昨年二回目のアンケートが行われた翌月のことです。もしかしたらそれは学校がつかみそこねた事実だったのかもしれません。

 

【「いじめ」における時間の問題】

「いじめ」に限らず学校問題に関する考察や分析において、しばしば見落とされるのは時間の問題です。
 例えば、
「A児は半年に渡って『いじめ』により3人の児童から10万円を脅し取られた。しかしいじめた児童たちは『おごってもらっただけ』と言って『いじめ』を認めようとしていない」
といえばかなりあくどい事件に見えます。街のチンピラがめぼしい人間を見つけて半年もの間恐喝をし続けた挙句に白を切っているといった印象です。
 しかしその間には別の物語があったのかもしれません。

 私の経験した中学一年生の男の子の場合は、最初から被害者の方が金を見せびらかしていました。見せびらかした上で菓子やらゲームやらを奢り、相当にいい気分になったのです。
 もちろんいきなり札びらを切って見せたわけではありません。一緒に街で遊び始めたころは互いに金を出し合っていたのです。ところが彼だけがいつも一けた多い。そこでずるずるといつの間にか金を払う金庫番になってしまったのです。

 やがて彼の蓄えは枯渇します。母親の財布からくすねる小銭でも追いつきません。それにもかかわらず仲間たちはしつこく誘い、街に出れば金を出さざるを得ません。
 彼は切羽詰まって父親の財布から千円二千円とくすね始めます。そしてついに一万円札にまで手を出し始めるのです。
 最終の段階では、彼はもう怯えきっていました。金を出さなければ仲間ではいられないかもしれません。もう出さないと言ったら何をされるか分からない、そうも思いました。彼は祈るような気持ちで、そのたびごとに父親の財布から一万円を抜き取るという危険を冒し続けたのです。

 この場合、最後の部分だけを切り取ると、彼が仲間に怯えながら金を出し続けたのも、遊び仲間が「ただ奢ってもらっただけ」というのも事実です。

 あるいは、
 6年生のクラスの女の子の中に、かなり指導しにくい8人ほどのグループがありました。その頂点に立つ子はわがままでキツく、仲間の鼻づらを取っては引き回すような子です。
 グループ内部ではしょっちゅう仲間はずれがあり、しばらく干されたかと思うと突然引き戻されなど、飴と鞭によって常に緊張感が漂い結束が図られていました。
 ところがそんな状況が(5年生のときから)1年半近く続いたあと、ある日突然のクーデターがあって、頂点が追い落とされたのです。その上で放逐された。
 追い落とした側からすれば「もう我慢がならなかった」ということです。

 ほどなく頂点だった子は学校に来るのをやめてしまいます。
 彼女の言い分はこうです。
「仲間外れにされている」――もちろんその通りです。
「クラスの他のみんなも冷い」――8人の仲間以外の女子はずっと見下されていましたから、冷たくしているわけではないのですが、いまさらどう付き合ったらいいのか分からなかったのです。もちろん男子は最初から蚊帳の外です。
「昔のようにみんなと仲良くしたい」――原状回復なんてとんでもないと他の子たちは思っています。

――この事件の結末はあっけなくも残酷なものでした。
 担任や学年職員の指導に応じて、追い落とした側から手を差し伸べ互いに握手した上で元のさやに納まったのです。彼女は再びクラスの女子グループの頂点に立ち、以前に増して過酷に仲間を引きずり始めました。

 この事件も真ん中の部分だけを切り取れば「ひとりがクラス全員に背を向けられた」残酷な「いじめ」事件です。

 

【仙台の場合】

 昨日も引用しましたが、5月初めに行われたアンケートや調査の結果は次のようなものでした。
 この生徒が机に『死ね』と書かれたり、ほおを叩かれたりするなどのいじめを受けていたことが明らかになったほか、(中略)この男子生徒が「臭い」「こっちに来るな」などと毎日のように悪口を言われていたことや、「菌扱い」されていたり、消しゴムのかすを髪の毛に乗せられたりするなどのいじめを受けていたことが新たにわかりました。(略)こうしたいじめに対して男子生徒が言い返すこともなく、トイレの前で1人で座っていた姿を目撃したという生徒もいました。また、自殺した当日、男子生徒が「朝は顔色が悪くてフラフラしていた」ことも報告されました。
06/06 NHK

 これを読めば、やはりこんな残酷な状況を放置した学校は糾弾されるべきだと思います。
 さらに(他の人は言いませんが)、そんな状況があるにもかかわらず、自分では何もせず、大人社会に通報することもしないで放置し、今頃になって訴えて来る他の生徒たちも卑怯者です。
 学校全体が狂っていたとしか思えません。
――といったことになりそうですがそうではないでしょう。

 「男子生徒は私の授業を楽しみにしていた、と他の生徒が話していた」
 これは今年2月に男子生徒の口にガムテープを貼り現在は無期限の自宅待機となっている女性教員の言葉です(05/26 河北新報)。

 「一方的ではなく、互いに(悪口を)言い合っていたので、双方を指導して解消した」
 こちらは4月29日、最初の取材に答えた校長の言葉です(05/08 弁護士ドットコム

 私はどれも間違っていないと思うのです。
 ある時期それは正しかった。

 生徒は国語の教科担任がけっこう好きで、そこで羽目を外しすぎて注意され、「もー頭にきた、そんなにおしゃべりならガムテープ貼っちゃうからね」とか言われて、本当に貼られてしまった。それでよかった。
 またあるとき、友だちに悪口を言われて腹が立ち、こちらもがんがん言っていたら喧嘩状態になって担任に呼び出されてしどうを受けた。それでよかった。そういう時期もあった。
 しかしそれとはまったく違った事実もあったーーそういうことではないかと思うのです。

 アンケートに書かれたことや取材から分かってきたことをいちどきに書くととんでもなく残酷な風景も浮かんできますが、現実にあったことはもっと複雑でさまざまで、良い日もあれば悪い日もあった、目に見えるものも見えないものもあった、本人にしか分からないことも本人ですら分からないこともあった――時間軸に添って実際に起こったことを並べ、それぞれの時におのおのが何を見、何を感じて何をしたのか、丁寧に紐解かないと分かるべきことは分からないのです。

 私の申し上げたことはもちろん仮説のひとつですから、実際には報道の印象の通り、彼はまったくのひとりぼっち、孤立無援で学校中の教師から見捨てられ体罰を与えられ、友だちからも完全に見捨てられてひとりで死んでいたのかもしれません。それだって可能性のひとつです。

 しかし可能性だけでいうなら、もっと様々に考えられることがあります。それは古典的とも言える過去の「いじめ=自殺」事件の教えてくれるところです。

 (この稿、続く)