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「発達障害を理解することの難しさ」〜NHK「発達障害〜解明される未知の世界」を見て

 21日(日)夜9時から放送された「発達障害〜解明される未知の世界」は私たちがよくかかわりあう子どもたちの世界を、目に見える形にしたという点でとても意味ある番組でした。
 具体的に言えばADHDの子どもが教室でボンヤリ過ごす様子をアニメで追った部分と、自閉症スペクトラムの人たちが多く持つ感覚過敏を映像化した点で、とても分かりやすいものだったのです。

【授業に集中できない子】

 前者について言うと、主人公の少女は教室内で突然壁に貼られたポスターに気づき、
「あ、新しいポスターだ」
と心を奪われます。文字を読み、内容を吟味し、ああこれいいなあと思っているうちにハッと我に返って黒板を見ます。困ったことに授業はずっと先に進んでしまっているのです。
 そこからよく分からないなりに授業に集中するように努めるのですが、見ると目の前の同級生の髪についているシュシュがとても可愛くて、「ああ、本当に可愛いな」と思っているうちにまた授業から離れてしまう。そして最後は先生に、何度も何度も声をかけられてやっと気づき周囲から笑われる、というストーリーです。
 ああそんな子は確かにいるなと思ったり、そう言えば小学校の頃の私もそんな感じだったかもしれないと思ったり――とにかくちてもよくわかる話でした。
 同じアニメを繰り返し見れば、教師として対処すべきこともたくさん見つかるかもしれません。
 

【感覚過敏の世界】

 視覚過敏については今回初めて、子どもたちの言う「光が目に痛い」が実際の映像として見ることができました。
 昼の街の風景は露出オーバーの写真が全体として輝いているといった印象です。太陽のように直視できない強さではなく、蛍光灯の光が直接当たってバックライトのように風景の後ろに存在する言えばそれに近いかもしれません。
 「キラキラと輝くものが無数にある」という感じも映像にしてみると辛さが分かります。

 私にとっての一番の収穫は、聴覚過敏の人が聞き取る世界を、実際の音として感じとることができた点です。
 ひとつはスーパーマーケットのしんどさ。
 人の声やもののぶつかる音といった“聞こえて当然の音”以外に、冷蔵庫の唸る音、蛍光灯の発する微細な音など、専門のマイクが近づいて初めて採集できるような音が、人の声と同じレベルで耳にはいってくるのです。たしかにこれでは街にいるだけで大変です。
 聴覚過敏の人が聞き取るスーパーマーケットの騒音は、そうでない人がパチンコ屋で聞き取る音のレベルよりさらに大きいと番組では紹介していました。

 もうひとつは人の話を聞き聞き取るしんどさです。
 再現されたのは喫茶店内で雑談する場面ですが、最初はまずアナウンサーが普通の状況でこちらに向かってしゃべります。指向性のあるマイクで拾った音声ですので何を言っているのかよく分かります。
 現実の世界で、私たちは単一指向性マイクの代わりにいわゆる「カクテル・パーティー効果」(騒がしいパーティー会場でも、必要な言葉を抜き出して聞き取ることのできること)を使って選択的に声を聞き取りますから、やはり何を言っているのかはっきり分かるのですが、聴覚過敏の人たちにはそれが難しい――。番組では女性アナウンサーの声のレベルを極端に下げ、周囲の音に紛れるくらいにまでしてその様子を表現しました。
 確かにこれだと、内容を吟味する前に声を聞き取るだけでエネルギーを使い果たしてしまいそうです。
 

発達障害の人々を受け入れる困難】

 番組後半ではそういう発達障害の特性を理解し、受け入れることの大切さを訴えていました。しかしそれもなかなか難しいことのように思いました。
 ゲストとして出ていた栗原類さんのようにカミング・アウトしてしまった人ならいいのです。私たちはワンクッション置いて、その人たちと接することができます。
 しかしそうではない人――発達障害を怪しむより高慢や身勝手やわがままを疑いたくなるような人々の不思議な態度・行動に対して、どこまで受容的であっていいのか、よく分からないのです。

 急に思い出したのですが、例えば、
「昨日メール送ったけど、見てくれた?(返信もないので対応をしてくれたのかどうか心配なんだけど)」
と尋ねたときに返ってきたひとこと。
「見てない」
 私はそれを“この人、どうやら虫の居所が悪そうだな。でも確認しないと困ることなんだけどどうしよう”と困惑していたりします。しかしそれが虫の居所の問題ではなく、「見た?」と聞かれたから「見てない」と返しただけの自閉的な反応だったとしたら気を遣う必要もありません。「じゃあ、こうしてね」とメールの内容を口頭で伝え直せばいいだけです。しかしそれが発達障害的なものではなく、単なる不機嫌だったらそういう言い方は火に油を注ぐようなものです。

 あるいは職場で比較的仲の良い相手なのに、話しかけるとほぼ8割以上の確率で別な話をする人がいたります。
「あの、昨日の話なんだけどさ」
「今日のお昼何を食べに行く?」
 もしかしたらそれは相手を察知しながら声をかけられたことに気づいていない、全く聞こえていない人なのかもしれません。しかし一般的に「この人聴覚過敏かもしれない」と思うより、「コイツ、人の話、全然聞いてないじゃん(無視しとる)」と腹を立てるのが普通でしょう。
 あるいは“お前の話は聞く気はない。話しかけていいのは俺様の方だ”といった偉そうなヤツだった、といったこともないわけではありません。

 相手が何らかの障害者だと分かっていればいくらでも対処できる、しかしそれが明らかでない場合、私たちはどう対処するのが正しいのか、私にとってはかなり厄介な問題です。