カイト・カフェ

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「子を持つ覚悟について」~どうせ、いわゆる健常児に生まれたって健全に育つわけではない

 まだ職員文集(学校の先生たちが寄稿して毎年一冊の文集をつくる)というものがあった時代、私はその中にひとつ、とても気になる文章を見つけました。それは初めて子どもを持つ若い、男性の教師の出産体験記です。こんなことが書いてありました。
「はじめて自分の子どもを見る。どんな様子だ、元気な子か、指は五本そろっているか・・・全部よし、『やったー』。私は無意識に叫んでいた」
 もしこのとき、指が五本そろっていなかったら、この教師はどう思ったのでしょう。

【誰かが背負う困難】

 現在教育の世界で最もホットな話題である発達障害はその発生率6%と言われています。身体障害は3%、その他の障害が3%、合算するとおよそ12%、10人に1人以上が生得的に何らかの問題を持って生まれて来ることになります。では残りの9人は健全な成長を遂げるのかというともちろんそうではありません。ほとんどの子は親の思った通りに育ちません。そして親の思った通りに育つ場合も、こんどはそのこと自体が問題だということもあります。

「世界は統計学で成り立っている」と言った統計学者がいるそうですが、私たちには一定の割合で背負わなければならない何かがあります。
 たとえば世の中の貧困家庭が6%(2011年)というとき、16人に1人の割合で年間所得112万円以下の収入で暮らしています。配偶者や恋人からの暴力(DV)の被害者は10%(2008年)というとき、配偶者や恋人を持つ人の10人に1人は継続的で執拗な暴力を受けています。誰かが背負っているのです。
 もちろん貧困やDVは政治やその他によって回避できますが、先天的な障害というのは避けようがありません。そして科学が進歩し、以前は救えなかった命が救えるようになると、その割合はさらに増えて行きます。

「誰かが背負わなければならない。だとしたら背負える人が背負った方がいい」
 初めての子どもが妻のお腹に宿った時、私が思ったのはそういうことです。ですから私たちは何の不安もなく出産の日を迎え、そして子育てをしてきました。二人の子は、障害こそなかったもののスクスク育ったわけではありません。それも想定の範囲内のことでした。

【ただし】

 数年前、妻がある知り合いから相談を受けました。その人のお嬢さんが妊娠中の染色体検査によって胎児に18トリソミーがあると分かったのです。私は18トリソミーの子どもに会ったことがないので分からないのですが、同じ染色体異常の21トリソミーの方は「ダウン症」の通称で有名で、障害の様相も大雑把に同じ方向だと考えてよさそうです。
 妻は特別支援学校の教員で同じ障害を持つ子どもの保護者にも知己がいそうだから、産むべきかどうか聞いてもらえないかということでした。
 その話を聞いたとき、私は即座に産むべきだと思いました。天から授かった大切な命です。どんな問題があろうと、赤ちゃんに生まれてくる意志があるなら産むべきだ、どんな子でも生きる権利があるし、私たちはそれを担うべきだ、そう思ったのです。私ならそういう選択をするし、障害を持った子どもお母さんたちもきっと産む方に賛成するだろう――。
 しかし結果は、こぞって「やめておいた方がいい」でした。
 やはり理想論・道徳論だけでは割り切れない厳しい現実はあるのかもしれません。

(さらにただし)
 結局、産まないことに決めて堕胎したそのお嬢さんは、のちに重いうつ状態に陥り、離婚して実家に戻ったと聞きます。
 人生の選択の是非は、結局は謎なのです。