カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「遠いあの日」5〜『油断』

 いつだったか「学校の馬鹿げた校則」といった話の中で「トイレットペーパーの使用は25cmまで」というのが出てきて皆で笑いものにしていました。確かにそれが“削除されずに残っていた”ことは馬鹿げていますが、その「25cm」自体は馬鹿げたものではありません。
 1973年以降しばらくの間、それはほとんど“日本の常識”だったのです。

 

【トイレに命がかかる】

 そのころのレストランや喫茶店のトイレにやはり同様の張り紙があり、ペーパーホルダーの横に手製のメジャーが貼ってあるお店さえありました。
 それでもロールペーパーがあればむしろマシで、トイレ目的で入った店の、その入り口のドアではなく、奥のトイレのドアに「当店ではトイレットペーパーの用意がありませんので、どうぞご了承ください」といった張り紙を見たときの絶望感! そんな状態で何を注文したらいいのか――。

 もちろん大学のトイレには全個室を覗いてみてもひとつもありません。デパートのトイレにはあったように思うのですが予備ロールが置いてあることはなく、張り紙が一枚、
「トイレットペーパーが切れている場合は従業員にお申し出ください」
 しかし女性従業員をつかまえて「紙がありません」と言うのは男性にはとても勇気のいることで、私はおそらく一度も申し出たことはなかったと思います(コンジョーなしですから)。

 後にトイレット・ペーパーの払底というのはガセネタだったことが分かりますが当時は、
原油が高騰する→工業製品の製造コストが暴騰する→商品が一気に値上がりする→安いうちに買っておかなくちゃ→商品に品薄感が出て来る→売っているうちに買わなくちゃ→商品がなくなる」
が当たり前のように思われたのです。なにしろありとあらゆるものが値上がりしましたから。

 

【とにかく絶望的にものの値が上がった】

 それを説明するのにうまい資料がないのですが、例えば函館市では73年6月から74年6月までの1年間で、
 醤油(1.8g)  280円 → 380円
 味噌( 1kg)   171円 → 215円
 砂糖(1kg)    160円 → 230円
 コーヒー(1杯) 130円 → 177円
 灯油(18ℓ)   345円 → 655円
 理髪料(大人1回)708円 → 925円
と一斉に値上がりしています。それも74年6月におさまったというような話ではなく、その後も上がり続けたのです。
 理髪料など三か月ごとに値上がりしましたから、行くたびに値段が違います。
 銭湯の入浴料は72年に45円だったものが毎年値上がりして5年後には133円に、翌78年には150円です。

 あなたはもう忘れたかしら、赤い手ぬぐいマフラーにして
 二人で行った横町の風呂屋
 とかぐや姫が歌った「神田川」はオイルショックのまさに一か月前、73年9月発売でしたが、以後、この二人は一緒に銭湯に行けなくなったのかもしれません。

 

【書籍の値上がりはきつかった】

 個人的に一番痛かったのは書籍です。
 例えば当時の岩波文庫には本体に値段がついておらず、カバーに印刷された★マークで価格を表していました。オイルショック以前は星一個50円。最も分厚いものでも五つ星、つまり250円だったのです。
 それが73年に星一個70円となり75年に100円、つまり五つ星だと500円! わずか2年で倍に値上がりしたのです。500円と言えばしばらく前はハードカバーの立派な単行本が買える金額でした。
 もう本なんて読むなと言った勢いです。

 節電・省エネが叫ばれ、デパートのエスカレータが止まり(単なる階段になった)夜の繁華街からネオンが消えました。テレビは午後や深夜の放送が自粛され、地下鉄の蛍光灯は間引きされます。
 日曜日のガソリンスタンドが休業になったため土曜日午後のスタンドはどこも満員でした。

 そしてあれほど奔放だった人々の生活様式がすうっと収斂していったのです。

                            (この稿、続く)