カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「まず壁を乗り越える」〜リオ・パラリンピック終わる①

 リオデジャネイロパラリンピックが終わりました。
 閉会式も見事なものでした。オリンピックの始まるつい2週間前まで、ほんとうにできるのか?と心配したものですが、「ブラジル人は本番に強い」の自己評価の通り、大きな混乱もなく立派な仕事を仕上げました。
 こうなると日本人のやり方は、丁寧を通り越して単なる心配性に見えてきたりします。しかし私たちは非ラテン系。不用意に見習うと大火傷します。私たちには私たちに合ったやり方があるとあきらめて丁寧で細やかな仕事に心がけましょう。
 さて、
 私は毎朝4時半に起き、テレビをつけてそれからコーヒーの準備をします。一年中、定規で計ったような生活です。
 4時半からその日最初のNHKニュースがあるので、それを見ながら事件・事故・話題をチェックし、気になるものがあったらそのあとコーヒーを飲みながらネットで調べるというのがいつもやり方です。そんなふうにして落ち着いた一日を始めるわけです。
 ところがここ一か月余はまるでダメでした。

 昨日まで、4時半はオリンピックやパラリンピックの中継放送の真っ最中で、多くが決勝、あるいは3位決定戦あたりなのです。寝起きで血圧の高い時間帯に気合の入る勝負が満載――。
 以前にも書きましたがほんとうに緊迫した場面ではテレビも見ていられませんから、どのタイミングでスイッチを切るのか、どこで再び入れるのか、そういうことも含めて緊張感の高い時間が長く続くのです。

 もっともそうした早起きのおかげで、特に放送の少ないパラリンピックでは、いくつもの名勝負、重要な場面をリアルタイム見ることができました。そして多くの点で考えさせられることが多かったのです。
 そのひとつは競技を観戦する私自身の心の中にあったもので、見ることによって存在に気づき、やがてじわじわと大きくなってきた、暗く、おもしろくなく、許しがたい一つの感情です。

 例えば、
 競技用義足で走る短距離種目や跳躍種目、専用車椅子を使った中長距離、視覚障害や知的障害の人の水泳、車椅子ラグビー――それらはいずれもいいのです。

ブレードと呼ばれる大きく湾曲した炭素繊維製の競技用義足は間違いなくカッコいいし、競技用車いすのハの字に開いた車輪は昔の暴走族のハコ車にそっくりです。車椅子ラグビーのむせ返るほどに屈強な男たちの筋肉もすごいし、どんな場合もそうですが世界レベルで活躍する人たちはほとんどは常に美しい――。顔立ちが美しく表情も美しい。それらはすべては強い力で私を引き寄せ、離すことをしません。

 しかし競技によって、あるいは種目によっては、そんなふうにまっすぐ突き進んでいく私を引き留めるような、ためらわせるような――今流の言い方をすれば思わず「引いて」しまうような状況がたびたびあるのです。
 それは最初、装具を一切身に着けない水泳競技の視聴中に起こりました。

 そこにあるはずのものがないということが、どうしてここまで心を震わせるのか――。
 私は車いすの人にもあっていますし、重度の脳性麻痺の子とも話したことがあります。義足の人も義手の人も知っています。
 しかしその欠損部がむき出しでさらされている場面には、ほとんど出会っていないのです。

 障害の部分を全く隠せない水泳のような競技に、なぜその人はまっすぐ進んでいったのか――おそらくそこにはリハビリとの関係があるのでしょうが、それにしても初めて、その姿で衆目の前に立ったとき、その人は何を思っていたのだろう――。そう考えると私にはとても真似できないような神々しい決断と意志を感じざるを得ません。
 しかしそれにもかかわらず、私は腰が引けているのです。

 それをもって差別意識と言われても困ります。
 それは単純なためらいであって決して本質的なものではないからです。克服するのもそう厄介ではなく、実際にその人に会って、ふた言み言、会話するだけ終わってしまうはずのことです。しかしテレビ画面のこちら側にいる限り、それは起こりえません。

 統合教育やインクルーシブといった障害者と定型発達を同じ場に置く教育方法に対して、私はあまり積極的でない立場をとっています。それは人間性の育ちという意味で定型発達の側にこそ有益であるのに対し、障害を持つ側にとってはあまりメリットがないと思われるからです。設備や人員配置の整わない中での協働は、むしろ危険だったり学習遅滞につながったりすると私は思っています。
 けれどパラリンピックを見ながら、障害を持つ人たちに多少不利でも、期間を区切ってでも、定型発達との交流の機会をたくさん持たなければならないのではないかと、そんなふうに思うようになりました。

 考えてみると昔、私たちの世代は外国人にも怯えていました。たまに出会うと遠巻きにしてジロジロ見ながら、それでいて決して近づこうとしなかったのです。
 ところが今の子たちはさっぱり怯えません。小学校の外国語活動などを通じて幼いころから外国人と触れる機会が多かったからでしょう(それが「外国語活動」の唯一の成果だと私は思っています)。
 同じように、様々な種類の障害の方とふれあい、語り合い、協働することで予め抵抗感を払拭しておく――障害者支援などを考えるうえで、それが一番はじめにやることではないかと、そんなふうに思ったのです。

(この稿、続く)