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「パラリンピックが始まるよ」〜子どもの視点をこちらにも

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   今週金曜日(3月9日)より平昌パラリンピックがはじまります。
 特に子どもたちには強く意識さえたいスポーツ・イベントですが、オリンピックに比べるとどうしても注目度が低く、テレビ放送も少なくなるので私たちが意図的に誘導して、注目させるしかありません。
 そこで簡単に、障害者スポーツの歴史や意義をまとめ、子どもたちに話す話題のタネとしたいと思います。

パラリンピック

 パラリンピックの起源は1948年7月、ロンドン・オリンピックの開会式と同日にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた「ストーク・マンデビル競技大会」だとされています。
 これは第二次世界大戦で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして行われたもので、以後毎年開催され、1952年には「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」という名の国際大会へと発展します(参加国はイギリスとオランダの2カ国のみ)。

 1960年に「国際ストーク・マンデビル大会委員会」が組織されると競技会はさらに充実し、この年のローマ・オリンピックとともに開かれた第9回大会が、現在、第1回のパラリンピックパラリンピックと考えられています。
 ただしローマ大会の際には「パラリンピック」という呼び名はなく、1964年の東京オリンピックのあとで開かれた「第13回国際ストーク・マンデビル競技大会」の際、愛称として使用されたのが始まりだと言われています(ただし語としては、1953年のイギリスの新聞の見出しに使われたのが最初という説もあります)。
 パラプレジア(raplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)とオリンピック(Olympic)を継ぎ合わせた合成語で、日本人の発明と言われていますが個人は特定されていません。

 その後パラリンピックはオリンピックとは別の場所で開かれる時期が続き、1976年のトロント大会では国際身体障害者スポーツ機構との初の共催で、広く障害者全体のスポーツ大会として生まれ変わるとともに第1回冬季大会も開かれるなど、オリンピックとは距離を置いたところで拡大・拡充し続けました。

 どういう経緯か分からないのですが、1988年のソウル大会から国際オリンピック委員会IOC)が直接かかわるようになり、「パラリンピック」という愛称もこのときから正式名称となります。車椅子以外の選手も参加することから「パラ」をパラレル(Parallel、平行)と解釈し直して“もうひとつのオリンピック”としての立場をはっきりさせます。
 夏季オリンピックとの同一地開催も復活しました(冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年のアルベールビル大会から)。

 パラリンピックが発展拡大していく中で、その間も独自の活動を続けていた国際ストーク・マンデビル競技大会は、大会名を「国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会」に変え、当初の理念に立ち返って大会を車椅子競技に限定して今日も続いています。

障害者スポーツ大会の棲み分け】

 オリンピックの直後に同じ都市で同じ会場を使って開催するという今の形がとられるようになってから、パラリンピックは俄然マスコミに取り上げられ、規模も拡大していきました。

 1998年の長野冬季大会ではクロスカントリー・スキーで知的障害者の参加も認められ、障害者スポーツ大会としてのさらなる拡大が期待されましたが、2000年のシドニー大会でバスケットボールのスペインチームが健常者を紛れ込ませて金メダルを取るという不正を行い、知的障害者の参加自体がしばらく見送られるようになりました。
 再び参加が認められるようになったのは2012年のロンドン大会からで、陸上競技と水泳・卓球での3競技での参加という方向はリオデジャネイロ大会にも引き継がれました(ただし冬季に関しては、ソチでも平昌でも見送られています)。

 もっとも知的障害者にはスペシャル・オリンピックスという別の障害者スポーツ大会があり、マスコミに取り上げられる度合いこそ低いものの、国際大会としての名に恥じない隆盛を誇っていますから、選手が行き場を失ったというわけではありません。

スペシャル・オリンピックス】

 これは1962年6月にジョン・F・ケネディの妹、ユーニス・ケネディ・シュライバーが自宅の庭を開放して35人の知的障害者らを招き、デイキャンプを実施したのに始まるとされています。ケネディ財団の全面的なバックアップによって1968年7月に第1回夏季大会がアメリカのイリノイ州シカゴで開催されると瞬く間に拡大し、現在では夏冬合わせて26競技に170万人の知的障害者と50万人のボランティアが参加する巨大スポーツ・イベントとなっています。参加する国と地域は150を越えます。

 ユーニスの姉でジョン・F・ケネディの妹にあたるローズマリーには知的障害があり、しかもケネディ家によってさらに圧殺された(23歳のときロボトミー手術を強制され、3歳児レベルまで知的低下をきたすとともに性格も変化して狂暴になった)と言われていますから、そんなところからユーニスは熱心な社会福祉家になり、スペシャル・オリンピックスの発展にも尽くしたのかもしれません。現在、スペシャル・オリンピックス国際本部の会長はユーニスの息子、ティモシー・シュライバーが務めています。

デフリンピック

 障害者スポーツといえばもう一つ大切な大会を忘れてはいけません。デフリンピックです。  デフリンピックはデフ(Deaf、ろう)とオリンピック(Olympics)をつなぎ合わせたの造語で、聴覚障害者のために4年に1度行われるスポーツ競技大会です。国際ろう者スポーツ委員会が主催し、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアにおいて始まりました。  開催年を見ればわかる通り、ストーク・マンデビル競技大会(パラリンピックの前身)の1952年やスペシャル・オリンピックスの1968年を大きく越える歴史をもつ競技会です。

 聴覚障害の特性としてスタートの合図聞こえないとか審判のホイッスルが聞こえないといったハンディはあるものの、ほとんどの種目で支障なく競技ができるため、早い段階からスポーツは身近なところにありました。力さえあればオリンピックでメダルを狙える可能性さえあります。
 そうした事情や歴史的経緯からオリンピックや他の障害者スポーツ大会とは接点が薄く、マスコミに大きく取り上げられることもないのですが、重要な国際大会として位置づけられています。

【しっかり見ていよう】

 オリンピックやパラリンピックは意図しなくても自然に情報が入ってきます。しかしスペシャル・オリンピックスやデフリンピックはそういうわけにはいきません。私たちが意識的に情報を集め、子どもたちに伝えていかないと見過ごされてしまいます。意図して、耳をそばだてましょう。

 ちなみに、直近の障害者スポーツ大会としてはパラリンピックが今週の平昌冬季大会、次回が東京夏季大会(2020)。
 スペシャル・オリンピックスはアラブ首長国連邦アブダビ夏季大会(2019)、デフリンピックがイタリア・トリノ冬季大会(2019)となっています。
 子どもたちに話して一緒に注目していきましょう。