「メメント・モリ」〜死を忘るな

 妻の母(94歳)が肺炎で入院したので帰省した息子のアキュラを連れて見舞いに行ってきました。先週は娘のシーナと孫のハーヴを連れて行っていますので今回で二回目になります。
 一回目は絶食を強いられていた時期なので容態はかなり悪い感じで、手足がむくみ、家族が伸ばそうとすると「痛い」「痛い」というので本当に気の毒でした。
 今回はそれに比べるとずいぶんいい感じで、食事もできるようになり、顔色もよくなったように見えます。体を起こしてベッドに座る練習も開始していましたが、ずいぶん前から認知症も進んでいるので私たちが行っても喜ぶふうもありません。
 会って「じゃあお祖母ちゃん、がんばってね」と言って帰ってくるのがせいぜいです。

 私の実母の方は89歳で、義母に比べるとずっと元気です。週3回プールに通うのを楽しみにし、庭仕事をしたりしています。ただし元気なぶん愚痴も多く、あちこち痛いだの違和感があるだのうるさいことしきりです。
 先日など舌の付け根付近にブツブツができて気持ちが悪い、舌癌だけは痛いから嫌だというので医者に連れて行ったところ、「それは味蕾というもので、誰にでもあって、なければ困るものだ」と言われて納得して帰ってきました。味蕾については私も知っていたので病院に行く前に何度も「それは味を感じる器官で舌の上にはいっぱいあるものだ。舌先の方は擦れて小さくなるけど、け根の方はあちこち触れないぶん大きくなっているだけだ」と説明したのですが言うことを聞かなかったのです。

 ひとり暮らしをさせていますが、心配なので4年前から夜は私が行って泊まることにしています。
 一時期同居することも考えたのですが、呼び寄せれば母が不便でこちらから行けば私たちが動きの取れない事情があり、そのままにしました。どちみち私たちは昼間家にいませんから、私が夜行けばそれでよかったのです。ひとり暮らしをさせてることで、身の回りのこともよくやります。
 地震や雷によく怯えるくせに口癖のように「早く死にたい」と言い「100歳までは生きそうだ」と不安がっています。生きたいのか死にたいのかよくわかりません。
 ただし二人の母を見ながら、私自身が長生きしたいと思わなくなっているのは事実です。

 18年前に癌の手術をしたときは娘が小学校2年生、息子のアキュラはまだ4歳でしたから少々困りました。金銭的な意味では妻がフルタイムの正規で働いていましたからさほど心配はなかったのですが、ふたりに伝えたいことが山ほどあったからです。
 それが運よく今日まで生き延び、シーナは結婚して母親になり、アキュラも大学を卒業しようとしています。もう伝えるべきこともほとんどありません。
 いつ死んでも周囲に迷惑をかけることは少なく、個人的なわがままを言えばいま死ねば最も幸せな状況でこの世と別れを告げられるのですからむしろ望ましいくらいです。

 あの時、「癌」は「生きるか死ぬか」の二者択一でした。しかしこの年で癌に罹ってもそれは「癌か心筋梗塞か脳溢血か長命か」といった四者択一のひとつでしかありません。並べてみると長すぎる長命はむしろ苦痛です。
 脳溢血は死にきれない可能性があり心筋梗塞は身辺整理が不十分になる危険があります。そうなるとすでに経験済みで十数年も付き合った癌は望ましい選択とも言えます。緩和ケアも発達して痛みのコントロールもうまくできそうです。癌は皆に感謝を伝えきちんと挨拶のできる唯一の死に方です。
 早く癌に罹りたいと言うつもりもありませんが、余生を普通に生き、願わくば死ぬときは癌がいいなと思っています。年寄りとはそういうものです。