「参議院選挙終わる」②〜二大政党制のやるせなさ

 現在、憲法改正についてアンケートを取ると「改正すべきだ」と「改正すべきではない」はほぼ拮抗しています。「どちらとも言えない」も含めた割合が3:3:4であったり4:4:2であったり、一方が多少増えたり減ったりすることはあっても“拮抗”という状況はあまり変わりありません。そうした現実を前に「三分の二を許さない」とか叫んでもそれは有権者の3〜4割の危機感をあおるだけで、全体に響くものではありません。
 それに比べると「アベノミクスの継続か否か」は全員に関わる問題で「あの暗かった民主党政治の時代に戻っていいんですか?」は十分な脅迫となります。「コンクリートから人へ」は素晴らしいスローガンでしたが、結局双方に冷たかっただけという印象があるからです。

 その民主党政権の初代総理大臣は現在、ロシアに招待されれば「クリミア併合は地域住民の民意」と言い、中国に招待されれば「尖閣列島の領有権は係争中だ」と発言し、最近では「そろそろ沖縄独立の機運も高まってきている」と捉えられかねない発言(正確には「沖縄は独立しかないと思ってしまう可能性は否定できない」)までしたりしています。確かに沖縄県が独立国となれば日中の間に尖閣問題はなくなってしまうのですが……。

 二人目の総理も年中怒鳴ってばかりの人で、周囲は恐れて忖度を重ね方向を誤ることもしばしばでした。東日本大震災自体は不幸であっても不運であったわけではありません(運の問題ではない)。しかし時の総理がK氏であったことは不幸であり不運だったといえます。

 多くの国民は旧政権のことを忘れていませんから、民主党民主党の系列の人々が表舞台にいる限り、自公が選挙に負けることはないような気がします。今回の参議院選について海外メディアが分析した、「日本国民は民主党政権の失政を忘れていない。その意味で選択肢のほとんどない選挙だった」はまったくその通りなのです。

 思えば20年前、それまでの中選挙区制が改められて衆議院小選挙区比例代表並立制が始まったとき、マスコミは、
 いよいよ日本も英米のような二大政党制の時代がやってくる。その時々の選挙結果によって離合集散、場当たり的で無責任な政権がつくられるより、政権与党と影の内閣を持つ責任ある野党が互いに琢磨し合う素晴らしい政治の時代が来る
みたいな論調で一色でした。けれど私は理解できませんでした。さまざまな組み合わせでいかようにも政権の色合いを変えられる時代を閉じて、選択肢が二つしかない二大政党制にする意味が分からなかったのです。

 それまでは自民党を右に置いて左側に「なんでも反対党」と言われた社会党(現社民党)が大きな勢力として存在しました。そのさらに左側では極端な思想の(と当時は思っていました)日本共産党がヤイノヤイノ言っています。困ったことにその内容は常に正論でした。
 政府自民党の政治がいいと思ったらもちろん自民党に投票し、こりゃダメだと思ったら社会党共産党に票を入れて政府に少しお灸をすえればそれで政府自民党はおとなしくなる、当時の私たちはそういう印象を持って投票所に向かいました。
 時に自民にも社会・共産にもくみできないということもあって、そんな場合は(良くしたもので)自民党社会党の間くらいに民社党というのがいてここがいいアイデアを持っている、そんなこともありました。
 そんなふうに、国民はその時々の情勢で、絶妙のさじ加減をふるって政府をコントロールしていたのです。

 なぜあれではいけなかったのか。今となれば本当に不思議です。
 二大政党の一方が全く信用ならん(他方がいいわけでもないけど)――そう感じる人が大量に生まれるような事態はまったく想定されていなかったのでしょう。日本には日本にあった政治のやり方があったはずなのに、誰かが自分の都合で代えてしまったとしか思えません。

(この稿、続く)