「子どもじみたあの人たちに未熟な印象がない」~クローズアップ現代+「“こもりびと”の声をあなたに」より② 

 先週9日(水)のクローズアップ現代プラスに登場したひきこもり当事者たち。
 彼らのことがまた理解できなくなってきた。
 彼らの言っていることは一見あまりにも幼い。していることも子どもじみている。
 それなのに“未熟”という印象がまるでないのだ。

という話。

f:id:kite-cafe:20201214080100j:plain(写真:フォトAC)

 

【濃密な親子関係――自分はどうだったのか】

 先週9日(水)の「クローズアップ現代プラス(以下「クロ現+」)「“こもりびと”の声をあなたに~親と子をつなぐ~」を見て、最初に感じたのは「自分はこんなに濃密な親子関係を持ったことがあるのか」ということでした。

 父は私の覚えている限りいつも忙しい公務員で、家でゆっくりしていた記憶がありません。もちろん定年退職後は比較的ヒマでいましたが、そのころになると私の方が大人でしたから親子はあまり意識しないで済んだという事情もあります。一緒に住んだのは18歳の高校卒業までと20代最後の1年間だけ、それもあっという間でした。
 また、私は世間でいう“よい子”でしたから葛藤も生まれにくかったのかもしれません。

 自分自身が父親として子どもとの関係はどうだったかというと、これもあまりねちっこいものではありません。私は“我が子”という以上に“子どもそのもの”が好きでしたから関わった時間は平均よりはるかに多いはずですが、葛藤の記憶はあまりないのです。もちろん“葛藤”は一方だけが感じることもありますから、シーナやアキュラが何らかの屈託を抱えた時期のあった可能性も否定できません。
 機会があったら訊いてみましょう。その上で「クロ現+」に出てきた女性のように、
「なんで私を生んだんだとも思いましたし、それでも一人の娘として、認めてほしかったという気持ちもあった」
というような話が出てきたら根本から考え直さなくてはなりませんが、基本的に私についてはあんな濃厚な親子関係はありませんでした。おそらく一般的にもそうたくさんあることではないでしょう。子どもが小さなころならまだしも、ある程度の年齢になったらあれほど激しく親を追及し、親を恋うることもないと思うのです。


【“人のせいにしない”が精神的自立の指標】

 子どもの「精神的自立」について、私はかなり頑固な信念を持っていました。それは、
「自らの責任をきちんと引き受けることができるようになること」
というものです。もちろん反対側には「取る必要のない責任に対しては毅然として拒否できるようになること」というのもありますが。

 これは一種の指標で、精神的自立のできていない人間は簡単に割り出すことができます。何かあるとすぐに他人のせいにするのです。特に親のせいにする。
 したがって教師としての、あるいは親としての私の指導の中心は、自然と“責任の所在を明らかにすること”に傾いていきます。
 簡単に言ってしまうと「誰のせいかはっきりしろ」ということです。

 実は自分がそうした指導をしていることに気づいたのはずいぶんと後のことで、小学校のクラスで子どもと雑談めいた話をしている最中、何かを他人のせいにしかけた子どもに対して別の子が「誰が悪いんだ!」ときつ目に言ったときのことでした。あまりの勢いにびっくりしていると、自らフォローして「――と先生の口癖」とかわします。それで気づきました。


【重すぎる責任やお門違いの責任は負わせない】

 もちろん子どもたちの責任を追及するということは、大人としての自分の責任もきちんと追及するということですから、謝るべきところは平謝りに謝ります。それで五分の対応ができます。
 また、
「取る必要のない責任に対しては毅然として拒否できる」
がもうひとつの目標ですから、本人の責任ではないことや子どもには背負いきれない大きな責任を負わせないようにすることも原則です。

 話の流れを少し乱しますが、その意味で不登校に関して、
「学校に行かないという本人の選択を大切にしてやる」
という言い方には強く抵抗します。
 学校に行かないことによる利益もその子のものですが、行かないことによる不利益もすべて背負わなくてはならないとしたら、それはあまりにもかわいそうでしょう。

「クロ現+」の女性の父親のように、
「面接に行って何回も落ちても、『お前が悪いんだ』『何でこんなこともできないんだ』ということも言われました」
というのもダメです。面接に落ちるのは必ずしも本人の責任ではありません。「こんなこともできない」のは、父親がきちんと指導してこなかったからです(ということもあります)。
「責任をきちんと引き受けることができる子」を育てることが目標なら、その責任の重さをコントロールするのも親や教師の大事な仕事になってきます。


【子どもじみたあの人たちは未熟な気がしない】

 話がだいぶ遠回りになってしまいますが、私が9日の「クロ現+」を見て非常に戸惑ったのは、そこにある“激しく親を追及し同時に恋うる親子関係の濃密さ”が、まるで5歳児のそれと同じだと感じたからです。何かの失敗をしたときに「だってお母さんが〇〇したんだもの」と泣き叫ぶあれです。
 すこし年かさになってから、
「いま勉強しようと思っていたのにお母さんが言うからやる気がなくなった」
などと言うのも同じです。

 クロ現+に出てきた36歳の男性の、靴を買う約束をしたのに忘れられたからひきこもることになったというのはまさにそれで、ダダをこねているのでなければイチャモンの類です。それがどんなに大切な靴だったかと力説しても、最初に言っていなかったのだからダメでしょう。そのあたりのやり口も子どもっぽい。

 しかしだからと言って「クロ現+」に登場したひきこもり当事者は“未熟”だという感じはしません。 何でも親のせいにするのは精神的自立ができていない証拠だとも言いましたが、それも違う感じです。
 ではなぜあんな子どもじみた言動になるのでしょう。

(この稿、続く)