「教員不祥事の憂鬱」b

 若く優秀で熱心な教諭が盗撮容疑で逮捕されてしまった。しかも本人が容疑事実を認めている――それを考えているところに折あしく(彼にとっては)息子のアキュラから電話がありました。そこで用件のすんだあと、ことの顛末を説明して年齢的には近いアキュラの意見を聞きました。

「何もかもどうでもよくなったんじゃない?」

 これは新鮮な発想でした。しかし私の気持ちの深刻さがわかっていない。

「どうでもよくなったって、でもそれで自分を警察に売る?」

「いや、そこまでは考えていない。何も考えていない。自分だけは捕まらないと、そんなふうに考えていたのかもしれない。そう思わないと盗撮なんかできない」

「でも防犯カメラが山ほどあるショッピングモールのエントランスだよ。熊みたいな大男がスマホをスカートの中に差し入れたらどう考えてもバレるだろう」

「それはお父さんが思っているだけで、実際はもっと微妙だったのかもしれない。エスカレーターで何歩分か下にいて、手首だけ返してスマホを上に向けたらちょうど入るくらいの位置って、あるかもしれない」

「なるほどね」

「それにね、女子高生のパンツの写真なんてネットで見ればいくらでもあるじゃない。それなのに自分で撮りに行くっては結局スリルを味わいたかったんだよ。スリルだったらむしろ見つかる危険が高いくらいの方がおもしろい」

 なるほどなと一応合点しました。ある意味しごくまっとうな考えです。

 私は容疑者の“彼”を知っているから“スリル”が浮かばなかったのかもしれません。もっともそうは言っても“スリルを求める教員”あるいは“スリルに対して親和性の強い教員”というものを思い浮かべると、“彼”に限らずまったく浮かんできません。教職と言うもの自体がそもそも超保守的な世界なのですから。

 また仮に“スリル”が主因だとしても、得るものと失うもののバランスシートは著しく合いません。

 

 教師が盗撮事件を起こせば懲戒免職は確実です。懲戒免職となれば失うのは職や退職金だけではありません。教員免許自体が失効します。普通の職業はもちろん「より高い道徳性を求められる」医師や法曹関係者ですら盗撮程度で資格が消滅することはありませんし、禁固刑以上の犯罪でようやく5年・10年といった資格停止処分になるだけです(医師の場合は殺人や強制わいせつ、薬事法違反といった重大犯罪で年数件の免許取り消しがある)。しかし教職はそうではない。 免許を取り直したうえで欠格期間が過ぎない限り採用試験すら受けられないのです。つまり基本的に二度と教職につけない――。

 そして昨日も言った家族や同僚、そして何より子どもたち――その犯罪を犯すときに教え子たちの顔は浮かばなかったのか、その落胆と哀しみを思わなかったのか、担任の犯罪で傷ついた子どもたちが将来どんな生き方をしていくか考えなかったのか。

 そして私はひとつの結論に達します。

“彼”は女子高生のスカートの中を撮影しようとするとき、そうしたことを一切考えなかった、そうした抑制的な情景は一切頭に浮かんでこなかった、浮かんできてもアキュラの言うように「何もかもどうでもよくなった」ようにしか感じられなかった、だからこそそれができたということです。

“彼”がそういう人間だったというのではありません。

 判断力が極端に衰えていたのではないかという可能性です。

                                     (この稿、続く)