カイト・カフェ

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「まれ」〜マイ・レジューム①

 少し以前のことですが、NHKの朝の連続ドラマ「まれ」が終わりました。
 私のところは本当に、一緒に何かをやるということのない夫婦で、妻は典型的な仕事人間ですしふたりともドがつくほどのケチですから、それこそ外食もしない映画も見ない、旅行などとんでもないということで、二人でデートらしいこともしたことがありません。一緒に出掛けるとしたら、おひとりさま1パック限定の卵を二パックほしいから一緒に行ってほしいといった、そんな話ばかりなのです。
 それが2年ほど前からちょっとした気まぐれで、NHKの朝の連ドラを一緒に見ることになったのです。「あまちゃん」からです。
 VTRに撮っておいて夜一緒に見る、ただそれだけなのですが、「あまちゃん」から「ごちそうさん」、「花子とアン」から「マッサン」となり、かなり気持ちよくやってきた――それがここにきて「まれ」でつまずくのです。私が先に嫌になってしまった(妻も途中から「この子、なんでも欲しいものは全部手に入れるのね」とか怒っていたのですが結局、最後まで見続けたようです)。それでも妻が見ていますので時間が重なるときはチラッ、チラッと私も見る。したがって大雑把な筋は分かっているのですが、それでも最後まで腹立たしい番組でした。

 何に腹を立てているのかというと、さきほど妻の言った「この子、なんでも欲しいものは全部手に入れちゃう」――市役所に入りたいと思えば市役所に入れるし、箸にも棒にもかからないダメケーキ職人かと思ったらいつの間にかスーシェフとか言われて最も頼りになる後継者になっているし、イケメン二人を手玉に取って結局堅実な方を手に入れ、お店が欲しと思えば軽く転がり込んでくるし、赤ちゃんが生まれれば男女の双子で、もう一度ケーキで勝負しようとすれば世界パティシエ大会国内予選であっという間に堂々の5位。しかもその5位で絶望している、そんな馬鹿なことはない――そういったことも含めて、私は「まれ」のダメなところを一気に30個くらい言えると思うのですが、とにかく一番頭に来るのは、「大きな夢を持たないのは人間としてダメ」みたいな雰囲気が満ち満ちているからなのです。

 主人公の希(まれ)は夢追い人の父親に振り回されたため「夢嫌い」になった女の子です。口癖は「こつこつ地道に」で、将来の希望は公務員。そして希望通り輪島市役所に勤務するようになるのですが、そのあたりからおかしくなる。
 唐突にお祖母さん(希の母親の母親:草笛光子)が現れたかと思うと、これが世界的パティシエで、希の家の事情も考えずにこんなことを言います。
「あなた、他人の夢のお手伝いで終わっていいの? 自分の夢はどうするの?」
 その時点で私は混乱します。希の夢は「こつこつ地道に」公務員になることで、今まさにその夢を実現したばかりと思っていたからです。ところが主人公はそこから「私の夢は何だったっけ」と考えて、「そうだ、パティシエになることだ」などと言い出し、市役所をやめて横浜のケーキ職人のところに飛び込みで行ってしまいます。
 パティシエなどという話はそれまでチラッと出てきただけの話です。タイトルロールには「協力 輪島市役所」とか書いてあるのに、市役所職員は夢のない仕事でパティシエこそ若者が目指す職業だというのはあまりにも失礼です。

 世界的パティシエの祖母は自分の夢のために家族を捨て、娘の結婚式にさえ出なかった人ですが、その娘婿の徹(大泉洋)は血の繋がりもないのにそっくりで、これも家族を捨て、年中ろくでもない夢を追って周囲に迷惑をかけ続けている。その徹が反省して派遣の清掃員になったのを見て祖母は「昔はなかなか見どころがある男だったのにつまらなくなった」などと平気で言います。
 娘の家族を路頭に迷わす婿の方がいいなどという母親がどこにいるのでしょう。
 その婿の徹は懲りもせず、あれこれ手を出しては騙されたり失敗したりし続けるのですが、一時期IT関連の企業で成功しかかり、それも失敗して再び清掃員に身をやつすことになります。
 そういえば希の友人でタレントを目指していたパーマ屋の娘の一子は、結局夢破れてアパレル店員からキャバ嬢に身をやつし、いつの間にかスイーツの有名ブロガーになったかと思うと最後はプロのライターとして成功する、そんなふうになっています。

 結局、人間がなるべき職業は、世界的パティシエであり、IT企業の社長であり、プロのルポライターであって、市役所の職員やパーマ屋やアパレル店員は夢のない仕事、キャバ嬢や清掃員は身をやつしたときに着く仕事、そう言い続けているのと同じです。そんな馬鹿なことがありますか?
 
 と、ここまで書いて気が付くのは、そうした職業観、社会観、夢を持つことを最優先に考える感じ方は、まさに10代・20代のころの私自身と同じものだということです。
 腹の底から「まれ」に対して怒りを感じるのは、あのころの私を目の前に突きつけるからなのかもしれません。

                                   (この稿、続く)