カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「何が悪かったのか」1〜マイ・レジューム

 ゴールデン・ウィークが明けるとクラスは荒廃の一途をたどりはじめます。
 担任として出した指示が通らない、必要な生徒の活動が滞る、教室の具体的風景が明らかにすさんでくる――何が悪かったのか。
 一言でいえば全部悪かったのですが、そう言ってしまったのでは何の糧にもなりませんから少しお話しします。

 その第一は、私が学校の基礎となるもの、学級運営の構造、教育の意義といったものの一切をわかっていなかったことです。
 児童生徒の視点から学校を見ることはあっても、それまで教師の視点から見ることなど全くありませんでした。それでも、副担任を1年2年とやっていれば次第にその骨格は見えたはずです。しかし私はいきなり担任を持って43名の生徒を統括することになったのです。

 4月当初、学級として取り組むべきことは山ほどあります。クラスの班分けすること日直当番を決めること、朝の会でのプログラムを決めること、司会の指導をすること、給食当番を決めること、清掃分担を決め清掃の仕方を確認すること、校則について確認し曲がりなりにも学校生活が始められること、年度初めの行事(新入生歓迎式・生徒総会・学年集会・遠足など)の準備をすること等々。
 それらにはすべて目標があり、理解していなければならないことがあり、項目ごとの軽重があり、急がなければならないことと後回しにできることがあります。そのいちいちに私は知識がなく後れを取るのです。

 その結果、生徒が恥をかきます。清掃のやり方がわからずボケーっとしていて怒られる、集会にクラスごと遅刻する、身支度が1クラスだけ違っている・・・後から考えればすべて私の責任ですからそのつど平謝りに謝ればいいものを、舐められてはいけないと高飛車に出る。30歳の初任ですから、下手に出るわけにはいかなかったのです。

 生徒からはものすごい量の質問が浴びせられます。
「理科室や家庭科室に行くときは並んでいくのですか」
「給食は給食着を着て食べるのですか」
「カーテンを開けてもいいですか」「閉めてもいいですか」
「清掃はどこから雑巾をかけたらいいのですか」
「掃除の終了は音楽の始まりですか、チャイムが鳴ったときですか」
 そんなことは私も知らない。お前たちこそ小学校でやってきたことだろう、そのくらいのことは自分で考えられないのか――。

 後から考えれば生徒たちは知らなかったわけではありません。百も承知でした。承知の上で訊くのは、「中学校はどうなっているの?」「このクラスはどうするの?」と新しいルールを求めていたのです。今ならそれが分かります。しかし当時の私は、生徒のその主体性のなさに苛ついていました。
「そんなことは自分たちで考えなさい」
 それは私のクラスにはルールはいらないというのと同じです。自分勝手に進めていいというお墨付きを与えてしまったのです。

 給食当番がうまくいかないから罰を設けた方がいいという生徒の提案もはねのけました。その結果クラスの給食は惨憺たるものとなりました。掃除道具の分担も子どもたちに任せました。そのために雑巾がけの子はいつまでも「雑巾」でした。
 私は生徒全員の自由を望みました。しかしみんなを自由にしたら誰も自由でなくなってしまったのです。

(この稿、続く)