「岩手いじめ自殺事件の違和感」①

 世の中、ありえないようなことは実際には「ない」のが普通です。
「現象には訳がある」のです。ありえないような事態に出会ったら、それを理解できる形に解きほぐさなくてはなりません。それがプロの仕事というものです。

 岩手県でイジメ=自殺をうかがわせる、やりきれない事件が起こりました。中学2年生の村松君が生活ノートに死をうかがわせる記述を大量に残したまま亡くなったのです。
 ニュースでは「先生に助けを求めていたのに…。無視された」と父親が嘆き(産経新聞)、ネット上では「無能教師」「バカ担任」と無茶苦茶です。
 尾木ママこと尾木直樹氏もブログで、
『驚くべき学校!これが現代日本の学校なのか!? これじゃ 生徒殺人学校!こんな学校が存在するのでしょうか!?校長は昨夜の保護者説明会で謝罪もしなかったという!? 何度担任に訴えても完璧スルー 無視 いや ふざけ バカにしている! これは「教育殺人」? 尾木ママ こんな危険な学校 見たことも聞いたこともありません!! 憤り 超えています!!』
とか吠えています(「オギ☆ブログ」2015-07-08 06:08:39)。
 ママは教育評論家というよりはエンターテイナーですからあまり気にしなくてもいいかもしれませんが、「何度担任に訴えても完璧スルー 無視」といった見方から始めると何もかもわからなくなります。
 尾木ママ こんな危険な学校 見たことも聞いたこともありません!! 
となるのも無理なからぬところです。

 たしかに「ボクがいつ消えるかはわかりません」に対して「明日からの研修たのしみましょうね」はないですし、「なぐられたり、けられたり、首しめられたり」に「それは大変、いつ?? 解決したの?」もないでしょう。
 しかしこれだけの扱いを受けながら「生活記録ノート」に繰り返し相談の言葉が書かれていることに、私はむしろ違和感を持つのです。
 中学2年生の男子が、親にも相談しないことを繰り返し女性担任に訴えるのです。その上「先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています」とまで書く――そこには一定の信頼とか共感とかがなくてはならないと思うのです。文章からは読み取れない何かがある。

 それは、その都度、先生が部屋に呼んで話を聞いてくれたとか、相手の生徒に対して必ず指導してくれたとか、あるいは個々の問題については解決してくれたといったレベルから、単に先生も同じ生徒からイジメられていてクラスで二人ボッチだった(同族だった)といったレベルまでさまざまに想像できますが、そうした観点から見ると「何度担任に訴えても完璧スルー 無視」とは違った風景が見えてきます。

 校長はイジメについて何の報告も受けていなかった――これについてもいろいろなことが考えられます。
 校長がウソをついているのかもしれません。その可能性はほとんどないと私も思うのですが、ネット上ですら誰も疑わないのは不思議です。
 校長に報告できないような何らかの雰囲気・体制があったのかもしれません。例えば「あの校長はどんな問題にも首を突っ込んで話をかき混ぜしまうからかなわん」といったような場合です。
 学年主任が閉鎖的な自信家で、学年内で解決できると踏んで外部に漏らさなかったのかもしれません。いやその女性担任自身が猛烈な自信家であって、すべて自分で解決できると思い込んでいたといったことも考えられます。

 いずれにしろ現段階では何も分かっていません。しかし困ったことに、これまでの事例からするとこの種の事件で「将来すべてが明るみに出る」ということもありませんから、やはりじっくりと事態を見守り、真剣に考え行く必要があります。
(この稿、月曜日も続けて書くつもりですが、土日の間に妙な方向に話が進まないよう、願っています)