「今、思うこと」

  18年前に大病をして「これはダメかもしれない」と思ったとき、同時に感じたのは「死ぬのって案外、怖くないな」というものです。

 間もなく88歳になる母はなどを見ていると、逆に長生きもそれほどいいものではないという気がしてきます。とにかく一日中やることがないのです。
 庭の草取りをしても1時間、テレビを楽しんでもせいぜい2〜3時間。多少、お勝手仕事をして風呂に入って寝る、それだけの生活です。母の場合は、比較的健康ですし友だちも、長生きの兄弟姉妹もいますから電話で話したりたまに会ったりできるからいいのですが、それは女性だからであって男性はなかなかそういうわけにはいきません。豊かな人間関係を持った男性のお年寄りというのは少ない印象があります。私などきっとそうで、長生きすればあっというまに「何もすることのないお年寄り」になってしまいそうです。

 私にはひとつの信仰のようなものがあります。それは死ぬ瞬間は確実に至福の思いで逝くだろうというものです。なにしろ人間が死ぬのです。肉体が自分の滅びに対して何の抵抗もしないわけはありません。脳内麻薬と総称されるエンドルフィンやドーパミンが溢れ出て、オキシトシンやら何やらが猛烈な幸福感を生み出し、人は歓喜のうちに旅立っていく、そしてあとは何もない、そんなふうに信じているのです。そうなると死ぬのは案外怖くない。
 もう子育ても終わり、社会人としても一区切りをつけた。あとは生きても良し、死んでも良しと、そんな感じなのです。

 では長生きして、もっと見てみたいもの、もっと体験したいことはないのかと問われると、じっくり考えて二つくらい、ないわけでもありません。それは妙な話ですが、中国と北朝鮮が今後どうなって行くかという問題です。変ですよね。
 18年前は、子どもも小さく働き盛りでもありましたからもっと未練があってもよさそうなものでしたが、当時考えていたことは映画「ロード・オブ・ザ・リング」と「マトリックス」「ターミネーター」シリーズを最後まで見てみたい、といった他愛ないものでした。結局、全部見ることができましたし「ターミネーター」についてはいまだに制作していますから、これを最後まで見るのは長寿の記録をつくっても無理かもしれないと思い始めてさえいます。

 ただ、あまり人に迷惑をかけるのは嫌ですから、事故を起こしてとか人込みで倒れてとかいうのも困ります。ガンか何かで余命を告げられて、しっかり準備を整えてから逝きたいものです。
(死に方にあれこれ注文つけるのも、結局は死にたくないと大騒ぎするのと大差ないのかもしれませんが)