「ゲスの世界の終わり」

 年を取って辛いことのひとつは“取り残され感”です。子どもや孫は次第に親を相手にしなくなり、親はやがて“必要のない人”になって行きます。

 仕事上でつき合っていた人は職を辞すとともに一気にいなくなります。友だちと呼べる人や兄弟が、ひとりふたりと亡くなっていくと“取り残され感”はさらに深まるはずです。

 そうした現象は本格的な老人となるはるか以前から始まっています。例えば最先端の技術の習得といったものも、なかなか追いついて行かない。

 私の知り合いの新しい物好きのお年寄りは、スマホが欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、孫の携帯を借りたらタッチパネルがまったく反応しない。指がカサカサで機械が感知できないのです。それで諦めた。努力で何とかなることならいいのですが、そうでないとなかなかしんどいものがあります。

 最近アメリカでは情報が入りすぎたスマホが危険なので、主要機はバッグに入れ、会話やメールはフューチャーフォンでやり取りする人が増えている(ホントかね?)といったニュースを聞いたりすると「ガラケーがんばれ!」と心の中で叫んだりします。

 しかしさらに早く“取り残され”が始まるのはたぶん“流行”といったものでしょう。うっかりすると私の手元に来るころには「こういうのが、このあいだまで流行っていた」と過去形になっていたりします。ポピュラー・ミュージックの世界などはまさにそうです。

 AKB総選挙の日は、娘のシーナが里帰りしていて4時間に及ぶ“開票状況”をリアルタイムで見ることになりました(テレビは3時間の放送)。

 AKB48はすでに社会現象ですし、AKBというシステムには批判的な興味があったのでけっこうおもしろがって見始めたのですが、それでも80位からの発表となると飽きてきます。

 最近AKBオタクになったというシーナは丁寧に説明してくれるのですが、ベスト16の佳境に至って、すっかりウンザリしてきました。

「お父さんとしては、やっぱりAKR47の方がいいな」

「何?それ」

「AKoRoshi(赤穂浪士)47名」

 そんなふうに混ぜっ返しながら、それでも最後まで付き合いました。

 しかしなんとか追いつくのはAKBまでで、その後の世代となるとまったくわかりません。

「お父さん、これ聞いて」とipodのイヤフォンを渡すので耳に当てると確かに気持ちの良い曲。

「何?これ」

ゲスの極み乙女

「変な曲名だな」

「曲名じゃない。歌っているグループの名前」

「なんちゅー名前なんじゃ! それじゃあ『私、ゲスの極みの乙女が好き』とかいうわけ?」

「言わない。普通は『ゲス』って略す。『私、ゲスが好き』とか使う」

(そりゃ、なお、イカンだろう)

「他にもSEKAI NO OWARIというのもある。全部ローマ字。普通は『セカオワ』っていう」

(ひらがなでたった7文字を4文字に略すな!)

 このテの面倒くさい話を最初の持ちだしたのはポルノグラフィティーです。困ったことにラテン系の曲が多く、大昔ラテン・ロックとかいったものに夢中になった世代にもすんなり入ってきます。

 しかしいかにもそれらしいおっさんが「ポルノが好き!」と言うのはいかがなものでしょう(若い女の子が言うのも好ましくないが)。

 かくして「(ポピュラー・グループの)ポルノが好き」といった話をする時には、そうとうに伏線を張って周辺から話を始め、最後に「ポルノがいい」といったところへ持ってこなくてはならなくなります。

 実に面倒くさい。(私が?)

 もっとも、こんなことにボヤクのは、それ自体がすでに時代から遅れている証拠かもしれないのですが。