カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「あの月は何だったのだろう?」~子どもの頃に見た月食の月が、やたら大きかった話

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 昨夜の皆既月食、いかがでしたか。私の家からは時々雲に邪魔されながらも、最初から最後まで見ることができました。都会にいる子どもたちに写真付きのメールを送ると、娘からはすぐに「見えてる! いい感じ!」と返事がありました(息子からは返信なし。いつものことですが)。
 遠く離れて同じ月を見ている不思議を感じるとともに、安倍仲麿を思い出したりもしました。
(天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも)

 しかし毎回思うのですが、皆既月食の月は本当にあんなに小さかったのでしょうか――私の思い出の月食はもっともっと巨大で赤黒く、天空に浮かぶおどろおどろしい球体なのですが。

 “その月”は中学校3年生の時、親が建てたばかりの新築のベランダから眺めたものです。わざわざ2階に出たのは、当時の流行でベランダをつけたものの使い方がよくわからず、月見はかっこうのできごとだったからです。
 弟は妙に興奮して私と母を誘って赤褐色の月に眺め入っていました。しかし私たちはさほどの興味はなく、母などは家事に忙しい時間だったので少し眺めるとそそくさと台所に戻ってしまいました。それが気に入らなくて弟は母に食って掛かり、泣いて怒り、仕方なく母もベランダに戻ったもののまたいくらもしないうちに台所に行ってしまいます。弟はさらに怒って激しく泣いた後、結局最後まで、頑固にその場を離れませんでした。私も仕方なく夕食も食べずにずっとつきあっていました。
 滅多にない天体の奇跡、今回のがすと二度と見ることができないかもしれない貴重なできごとを、弟は母に見せたかったのです。けれど母には日常の方が大切でしたし、もしかしたら皆既月食なんて珍しくないと知っていたのかもしれません。

 それが私の“巨大な皆既月食”の記憶で、以後、そのたびに生徒たちに「すごいぞ、月は本当に球体だって分かるんだ、巨大なボールが夜空に浮かんでいるぞ、気味が悪いぞ」と言っては失望され、自分もがっかりしてきました。しかし それにしてもなぜあんなに大きく見えたのか。
 中学校3年生ですから“幼な心に大きくみえた”というのも無理があります、あの風景の現実感を錯覚だと思うこともできません・・・とそんなふうに書いてきて、ここで初めて気づいたことがあります。それは母が“家事に忙しい時間だった”ことです。父も帰宅する前でしたから7時以前のことだったのかもしれません。あるいは、弟は“結局最後まで、頑固にその場を離れませんでした”と言う以上、10月よりずっと暖かく日も長い時期だったのかもしれない――。

 つまり、もしかしたらあのときの月食の月は、山の端から出たときにはすでに皆既であったような、そんな月だったのかもしれません。だとしたら本当に巨大に見えても不思議はないのです。