「サイト開設事情」〜Webサイト利用①

 若いころはなかなかの読書家でしたので、そういう者の常として、いつか自分も本を出したいと思っていました。内容は何でもよかったのです。とにかく世間に認められ、あるいは世間から乞われて1冊出版する、そうなれば文章とともに歩んできた自分の生きた証しとなると思ったのです。
 しかしそれは今日明日のことではりません。50代か、もしかしたら定年後の仕事になるだろうと漠然と考えていたのです。ですから重大な病気になって少し慌てました。何も残さず死んでしまう可能性が出てきたからです。そこでそれまで書き溜めてきた文章を何もかも寄せ集め、頭にあるものは片端言葉にし始めたのです。

 自費出版ということは考えませんでした。死ぬとなればそれまでに使う金も多く、残す金も多いほどいいに決まっているからです。そしてとにかく原稿さえ残しておけば使い道はあとから出て来るかもしれない、そんなふうに考えていたのです。そしてちょうどそのころ、Webサイト(当時はホームページ)という素晴らしいものに出会いました。

 当時、現役教員によるWebサイトというのは非常に少なく、有意の士が運営している分、内容は豊かで、読者も殺到する傾向がありました。
「女子高通信」というアキバ系を思わせるタイトルの面白サイトには1日350人もの閲覧者がありました。「みゆき‘ず わーるど」のBBSは現職教員や一般の人々で毎日侃侃諤諤の教育談義が行われていました。今も私のところにたびたび訪れてくださるネルさんが教員になる道筋を示したサイトも大変な人気で、カウンタはとんでもない数字をはじき出していました。
 ネルさんを含め、運営者たちは皆カリスマでした。そこで私もその波に乗ろうと1999年に立ち上げたのが「ああ言えばこう言う辞典」です。

 タイトルとアイデアは数年前のオウム事件のころから持っていました。原稿はありましたから基本的な部分はすぐにできます。そして期待を込めてアップしたのですが、これがさっぱり盛り上がらない。客寄せパンダみたいなお笑いページをたっぷり振りまいたらお笑い系の来訪者は増えたのですが、教育関係はうまく話が進んでいかない。そうこうするうちにお笑い系がどんどん伸びて行って本来の主旨とは違った方向行ってしまったのです。管理者の私としても意識が統一されない。
 そこで教育に関係のないお笑いページは別サイトにまとめて移し、本来の教育関係だけのサイトに絞りました。アクセス数はさらに減りましたが、そのころになると少ない訪問者も気にならなくなりました。いつか本を出したいと思ったのも結局は表現欲の問題なのです。書いてしまえば満足するということがよく分かりました。
 さらにアクセス数など増えなくていいと思うような事態が起こります。3年目の秋、どこかのニュースサイトに載せてもらったのを機に1日のアクセス数が7000超、一か月で4万3千という異常事態が起ったのです。これにはビビリました。
 閲覧者が増えればそれだけ身元のバレる危険性も増えます。現職教員があんなことを言った、それは○○県の○○中学校教諭の○○だということにでもなったらたまりません。サイトが(今で言う)“炎上”するのはかまいませんが、身元がばれてリアルが炎上するようでは困ります。何といっても私は生活者なのですから。

 そうやって私はサイトが大きく広がることには興味を失い、細々と運営することに方向変換をしました。また、開設当時の主戦場は「キース・アウト」したが、リピーターが増えるにしたがって「啓示版」に軸足が移り、そこが荒れて来訪者が極端にすくなくなってからは「デイ・バイ・デイ」が中心的な場となりました。それが15年間、長く続けてこられたのは常にこのサイトを訪れてくれた皆様方のおかげです。

 2〜3年も続けるとサイト運営の技術とか更新のタイミングとかはよく分かって楽になります。そしてその中で培ったスキルは、サイト運営以外でも役立つことが次第に分かってきたのです。

(この稿、続く)