カイト・カフェ

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「逝く人とそうでない人」〜ガン病棟より 最終

「人は病気では死なない、寿命で死ぬ」と義母は言います。たしかにそう思わせる事実がいくらでもあります。また「運」というのも大事でしょう。
 私もその時、たまたま研究機関に出向していたので病院にいきやすかったという面があります。現場にいて、学校を空けるには自習にするか授業の入替をするしかないといった状況では、どうしても病院は後回しになります。行けばよかったはずの医者に行かなかったばかり命を落とした教員はいくらでもいます。
 40歳近くまで結婚しなかった弟が嫁をもらい、その遠縁にガン・センターの医師がいたことも幸運のうちに入るでしょう。まるで私の病気を予見したかのようです。
 しかしそれがなかったとしても、私には別の幸運が訪れたはずです。私は強運なのです。おそらくそれが神様の差配です。

 しかし生き残る人とそうでない人との間には、「寿命」「運」といった、目に見えない、人間には動かしがたいものとは違う要素があります――もちろん早期発見か手遅れかという問題があり、種類よって死が運命づけられているガンもあります。そしてそれらを前提にした上で、さらに別の、重要な要素があるように思うのです。
 それは例えば、ガン・センターの猛者たちの言う、「今度○○号室に来た△△、ありゃ死ぬな。あんなに思いつめているようじゃあ先は短い」に関わるような内容です。

 ネットで読んだ話ですが、ある女性が末期の乳ガンで、手の施しようのなくなった病院は体よく女性を追い出してしまいます。
「田舎に帰って、きれいな空気の中で、おいしいものを食べて養生しなさい」
 ところが10年後、その女性が再び病院に現れたのです。再発したようで具合が悪いというのです。院内は蜂の巣をつついたような騒ぎです。死んでいるはずの人が現れたのですから。
 医師が、
「これまでどうしていたのですか」と尋ねると、
「先生のおっしゃったように、田舎のきれいな空気の中で、おいしいものを食べて過ごしていました」
 ――結局、女性は再発したガンのために亡くなるのですが、彼女の手に入れた10年はかけがえのないものだったはずです。

 ガンはミステリアスな病気です。発見の早い遅いは重要な要素で、ガンの悪性度も決定的ですが、それとは無関係な何かが動いていて、助かる人とそうでない人が決まってくるような気がするのです。それは病気に対する患者の向かい方です。印象で言うと、
 病気に絶望した人と戦う人は助からない、のほほんと呑気に対応した人はかなり有利、
 そういった感じです。

 病院の猛者たちはほとんどがのほほんとした人たちでした。ガンにかかって助かった私の父方の伯父もそういう人です。伯母がしつこく怒ってもほとんど意に介さず、のんびりと対応します。
 それに対して、亡くなった母方の叔父はまさに闘う人で、ガンの告知を受けた後の態度も激しくキビキビしたものでした。しかしその闘争心の背後に、叔父の死に対する恐怖も見え隠れしていました。
 病気に対する“闘争”も死からの“逃走”も凄まじいストレスです。それがガンの進行を助長する、そう言えば少しは科学的な匂いもするのかもしれません。ただしそれも仮説です。

 17年前の私は、“死”を実感として掴めないまま時を過ごしていました。子どもたちに何かを伝える時間は1年以上あるといわれて、それで十分でした。義母が「寿命が尽きていなければ死なない」というので、私も「もし寿命が尽きていなければ、何があっても私は生き残る」と思っていました。そして「もし私が死ぬなら、その死には何らかの意味があるに違いない」、そんなふうに漠然と思っていたのです。
 ちょうどオリンピックの時で、巷は清水宏保里谷多英の金メダルに沸いていました。二人とも父親のいないアスリートです。もし今、私が死ぬとしたら、それは二人の子にとって私の死が必要だからだ――そんなふうに思っていたのです。

 そして私は生き残り、二人の子どもはアスリートにもならず、平凡な日々を送ろうとしています。

 

(この稿、終了)