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「先生の引き抜きが始まった!」〜狙われる30代・40代

 先週金曜日のNHKニュース「おはよう日本」では、「けさのクローズアップ」というコーナーで「“仁義なき”先生争奪戦」という話をしていました。 

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  筋はこうです。

  1. 学校の先生たちの、大量定年退職が始まっている。
  2. 実際の学校の様子を見ても職員室の四分の一が50代という現状(VTR)。
  3. 統計的にも、年代別教員構成で最大は昭和57年採用で現在58歳の3万5411人、最小は平成12年採用の39歳で6356人というかなりいびつな構造。
  4.  なぜこんないびつな採用になったかというと、それにはいくつかの理由があるのだが、今の30代40代の先生方が採用されたころには退職する先生方が少なく、また少子化の影響で教員を増やす必要がなかったという事情がある。
  5.  50代の先生方は若手の指導、生徒指導、校長や教頭との橋渡しといった点で非常に重要な立場にあり、この人たちがごそっと抜けることで教育の質が問われかねない。
  6.  そうした状況から、例えば福岡県は今年都内で現職教員の採用試験を行い、東京都や神奈川県の教員の引き抜きに打って出た。
  7.  介護の必要から地元に戻らざるを得ない教員や自分自身の子どもを田舎で育てたいといった教員51人の応募があり、そのうち9割近くを合格者とした。このような試みは高知県も行っている。
  8.  ただし引き抜かれる側からすれば、教員としてここまで育てて来てようやく活躍してもらえるという時期に引き抜かれるわけだからたまったものではない。それに将来の管理職の不足につながる心配もある。
  9. まさに仁義なき戦いだが、教員の定数が決まっている以上地方にできることはそう多くない。国の抜本的な対応が求められる。

  問題点を指摘しただけで解決策を全く示さないという点を除けば、よくできた報告かと思いました。ただし捕捉しなければならないこともたくさんあります。

【実際に起きたこと】

 例えば、平成12年を底とする採用の減少は「今の30代40代の先生方が採用されたころには退職する先生方が少なく、また少子化の影響で教員を増やす必要がなかったという事情がある」と説明されています。しかしそうなると、じゃあ採用の多かった昭和57年前後は退職する先生がいっぱいいたのか、教員を増やさなければならない理由があったのか、ということになりますが、そのあたりについては説明がありません。
 私が答えを知っていますので言いますが、全くその通りなのです。昭和57年前後にはたくさんの教員が退職する現実と、教員を増やさなくてはいけない事情があったのです。

 まず前者について言うと戦後復興と第一次ベビーブームの際に採用された大量の教員が、この時期に続々と定年退職を迎えていたのです。昭和20年に大学を卒業して教員になった人たちは、この年にちょうど60歳でした。
 それと同時に第二次ベビーブーム(昭和49年前後)の子どもたちが小学校に入学したのがこの時期でしたから、その意味でも大量の教員が必要とされたのです。

 教員の数は児童生徒数(正確には学級数)に連動しますから、子どもたちが増えないということは教員数も増えません。予想に反して第三次ベビーブームは起こらず、子どもは一貫して減り続けましたから、昭和57年前後に採用された先生方が辞めない限り、新規の採用は減り続けなくてはならなかったのです。その底が平成12年にあたります。

【これから起こること】

 平成12年採用の先生方50代に差し掛かる今から10年後あたりから、50代の教員は極端に少なくなります。その影響はまず管理職に出ます。
 現在の50代は人数が多すぎて校長教頭になるのは容易ではありませんでしたが、そのころにはとんでもなく楽な時代がやってきて、40歳代の校長、場合によっては30代の教頭もつくらなければ枠が埋まらない自治体も出てきます。
 考えてみてください。45歳の校長と38歳の教頭によって運営される学校ですよ。

 教育の質という問題もありますが、40代で校長になってしまったら本人も気の毒です。子どもが好きで教員になったのに20年足らずで引き離され、その後20年以上も大人相手です。
 おまけに監督している子どもは何をしでかすか分からないし、親は何を言い出すか分からない。さらに時々不祥事を起こす先生もいる。そんな中で管理職を20年以上もやり続けるのは容易ではありません。「責任を取って辞表」といったことも家族のことを考えると簡単にはできませんから、万が一の場合は恥を曝しながらその後も長く勤めなくてはならないのです。

 そう考えると首都圏に仁義なき戦いを挑んだ福岡・高知両県の不義理にも、ある程度の同情をよせることも可能です。そんな学校、そんな教育現場に絶対したくない、そんなふうに考えたのでしょうね。義理を欠いても自分の県の教育は守らにゃいかん――。

 ただし福岡や高知に聞けば、もっと気楽にやっているという可能性も実はあるのです。

【大都市圏の特殊な事情】

 NHKは全国的な傾向として、現在教員の定年退職がピークを迎えているといった話をしていましたが、自治体によっての差は当然あります。そして調べてみると東京の退職のピークはもう10年近く以前に終わってしまっているのです。
 東京都の場合、「採用の底」は46〜47歳あたりにあって、地方の教育委員会の欲しがっている40歳前後は比較的層が厚いのです(「東京都公立学校教員採用案内 教員の年齢構成」)

 首都圏で教員が大幅に不足して大量採用せざるを得なかったのは、他県で第二次ベビブーマーが小学校に入学した昭和57年よりも前の、昭和49年前後でした。
 映画「Alweys三丁目の夕日」に出てきたような集団就職の高校生たちが、大人になって結婚し、生まれた子どもが小学校に上がるようになったのがちょうどそのころなのです。
 東京で多摩ニュータウンがつくられ始めたのが昭和41年。最初の入居は昭和46年ですから当時どれほどたくさんの学校が建てられ教員が必要とされたかは容易に想像がつきます。私の聞いたところでは、各市の議員たちが大挙して地方の大学を訪問し、学生たちを一本釣りにしたと言いますから福岡・高知を悪く言うこともできません。

【結局、教員定数の問題だ】

 根本的な問題は教員定数です。
 生活科だの小学校英語だの、プログラミング教育だの性教育だの、キャリア教育だの総合的な学習の時間だのと、仕事は果てしなく増やしても定数は増やさない、年齢構成がどれほどいびつになっても「将来に向けて採用を増やしておく」といった配慮もしない、その頑迷な制度がある限り、現在の悪しきサイクルは続きます。

 私ははっきりと予言しますが、有能な50代の教員がごそっといなくなるという現在の恐怖は、37年後に再び繰り返されます。さらにそこから37年ほどすると、また同じことが起こります。なぜなら同じ37年周期で大量退職が起こり、大量採用しなくてはならないからです。

 それを避けるためにはどこかで人数の少ない年齢層を埋めておく必要があります。
 ここに至って初めて、「福岡県、偉いな!」という話になるわけです。他の県も真似をするといいのかもしれません。大都市圏の教員は母数が巨大ですから、各県50人程度の引き抜きだったら誤差の範囲で収まってしまうかもしれないのですから。