カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「K」~ASD:初めて会った不思議な少年の話①

 20年近く以前、小学校でKくんの担任をしていました。何とも不思議で困った子でした。
 わがままで身勝手、プライドは高いのに何もしない、そういう子です。

 知識が偏頗で妙なことに異常に詳しい。例えば私と出会ったときはモーツアルトにはまっていてその生涯について延々と話しをする。その端々に出てくる曲名とケッフェル番号はおそらく全部あっています(“おそらく”というのは私にはよく分からないから)。そんな調子だから友だちはいません。会話ができるのは私たち大人だけでした。

 絵は全く描けない。鉛筆も握らない。私がそばに行くと白い画用紙を睨み付けて「ううん、ううん」と唸って悩んでいるフリをするのですが、少し離れるとボーっと外を見ていたり人に話しかけて邪魔をしたりしています。
「このあたりに顔を描いて、ここから肩の線をおろし・・・」と薄い線で大雑把な構図を描いてやるとほんの数センチ線を伸ばすのですが、それ以上はやりません。それでも授業の最後に絵が完成しているのは、私と同じことをたくさんの子がやっていて、いつか合作のようにできあがってしまう不思議な仕掛けがあったからです。たった13人のクラスで小さなころからいつも支え合ってきました。

 歌は、小さな口しか開きませんでしたが、それでも歌っていました・・・と思ったら、最初から最後まで口パクでした。歌唱のテストで初めて気づいたのです。

 意地悪な性格で、授業中、信じられないほど臭いオナラをしては嫌がられていました。皆が悲鳴を上げて窓や扉を開けに走ると、「イッヒッヒッ」と笑って喜んでいます。余談ですが、世の中に本当に「イッヒッヒッ」と笑う人間がいることを知ったのはこれが初めてで、日本のマンガ家の観察眼はすごいものだとつくづく感心させられたものでした。
 委員会の仕事などは一切しません。ですから同じ係になると友だちはたいへんでした。けれどそれを非難するとすぐに逆切れするので、言いたいことも言えません。

 モーツァルトの次にはまったのはアメリカ軍の特殊部隊、「グリーンベレー」でした。何かそのころ、グリーンベレーをテーマにしたマンガがあったようです。私との会話もアメリカ軍の銃器に関するもので一色になりました。親にせがんで買ってもらった緑のベレー帽を被って登校してきます。しかし気の毒なことに、この子は運動がまるでダメなのです。ダメと言っても尋常ではありません。

 跳び箱の踏切位置が分からない。踏切板のはるか手前でジャンプしようとしたり、そのまま跳び箱にぶつかったりしてしまう。歩数を合わせ、数を数えさせてようやくジャンプの位置を固定させても、今度は手をつく位置が分からない。必ず跳び箱にまたがってしまいます。
 極めつけはサッカーで、横から流れてくるボールを走って行って蹴るだけなのですが、これが絶対にできない。私などは年ですから“あの辺りまで走って蹴ろう”と思っても足がついて行かない、そういうことはあります。それはいいのです。認知に運動能力がついて行かないだけですから。しかしKくんは流れてくるボールのはるか向こうまで走っていってしまうのです。ボールと出会う位置まで早く来過ぎたなら、止まって待っていればいいものをそれが分からない。
 自分が走り抜けたうしろをボールが流れていく、それはとてもみじめな姿でした。それで彼は、ほんもののグリーンベレーに志願することを諦めます。

 Kくんは困っていました。しかし私も困っていました。卒業まで、あと半年もなかったからです。
 そんなころ「のび太ジャイアン症候群」という本が出ます。

(この稿、続く)