カイト・カフェ

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「美しさに気づく目」〜私が果たせなかったこと

 ジュゼッペ・アルチンボルドの生きた時代(1526年―1593年)は日本で言えば戦国時代の真っ盛り、織田信長はジュゼッペの7歳ほど年下に当たりますし、その没年である1593年は文禄の役(第一回朝鮮出兵)の終わった年です。
 そう考えるとヨーロッパに“人権”のカケラもなく、人を人とも思わない風潮で満たされていたとしても仕方がないことです。日本もその頃は、歴史上もっとも人間が大切にされなかった時代でした。

 しかし2017年9月17日の私は、アルチンボルドの生きた時代のヨーロッパ世界にすっかりウンザリして、西洋美術館の企画展をあとにするしかありませんでした。そして、何をしたのかというと、常設展を見に行ったのです。正確に言えば国立西洋美術館の建物本体を見に行った――世界遺産に登録されてから初めての入館だったからです。

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国立西洋美術館

 国立西洋美術館は実業家松方幸次郎の収集した19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻(松方コレクション)を中心として、1959年(昭和34年)に設立された美術館です。
 本館の設計はモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエが担当し、弟子である三人の日本人が協力して完成したのだそうです。
 さらに開館20周年の1979年には本館背後に地上2階・地下2階の新館がつくられ、1997年には本館前庭の地下に企画展示室がオープンして、以後「アルチンボルド展」のような特別展はここで行われるようになりました。

 本館自体の芸術的価値としては、1998年に旧建設省による公共建築百選に選定され、2003年にはDOCOMOMO JAPAN(近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織の日本支部)「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定。2007年には国の重要文化財にも指定されています。
 そして昨年2016年5月、他の7か国17施設とともに「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献」として世界文化遺産に登録されたのです。

 

【私がこれまで、あまり常設展に行かなかった理由(わけ)】

 来月新宿にオープンする草間彌生美術館にような芸術家の個人美術館はいいのですが、普通の美術館の、常設展というのはどこに行っても苦手です。

 彫刻と絵画と工芸、日本画と西洋画、さまざまな時代のさまざまな作家――そうした多様なものを同時に見せられると、ひとつひとつの価値が分からなくなってしまうのです(ですから「エルミタージュ美術館展」とか「プラハ美術館展」とかいったのもダメです)。
 そうではなく、「ピカソ展」だとか「ゴーギャン展」だとか「草間彌生展」だとか、要するに個人の作品をゲップの出るほど見せられると、それでようやく価値がわかる、――というかわかった気になるのです。

 わざわざ東京の国立西洋美術館まで来ながら、常設展まで見て行こうという気になれないのはそういった事情があります。しかしこの美術館の場合、さらに足が遠のくもうひとつの理由がありました。それは「順路が分からない」ということです。

 とりあえずホールのようなところから二階に上がって、最初の一歩を踏み出したところから、右に行ったらいいのか左に行くのか、それがわからない。
 意を決して右回りに歩き始めるのですが、長い回廊みたいな構造になっている展覧会場の、左の壁と右の壁の絵をどういう順番で見ればいいのかわからない。
 もうそれだけで面倒です。
 そもそもそういうことを考えている時点で私はためなのかもしれません。

 

【しかしそれにしても今回はよかった】

 今回はしかし、建物内部を見るのが目的ですので、作品の見落としなど気にせずに進めます。絵画ではなく、天井や壁、階段の位置や明り取りの様子を見ながら回るのです。
 そうやって見ていくと、確かに国立西洋美術館本館内部は美しい。

 光と影、白と黒、低すぎる天井やパルテノンを思わせる高い柱。
 自然光は高い位置からも人間のすぐ頭の上あたりからも、さまざまに入り込んで来ます。
 太い梁や妙な位置から立ち上がる階段。
 そのいちいちが強いコントラストをつくって印象深いのです。

 一級の美術品の美しさを、文章にするのに私の筆力はあまりにも拙いので写真数枚を貼るにとどめますが、その幽玄な雰囲気を味わうためだけにでも国立西洋美術館に足を運ぶことには意味があるのだと思いました。

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 たまたまその日館内でやっていた「[Fun with Collection 2017]〜ル・コルビュジエの芸術空間―国立西洋美術館の図面からたどる思考の軌跡」に、ル・コルビュジエのアイデア・スケッチや初期の建築模型が数多く飾られていたことも、ずいぶんと助けになりました。

 

【しかしそれにしても――こだわり】

 しかしそれにしても、苦手といっても国立西洋美術館の常設展には若いころから数えると10回近くは来ているはずです。その間、この建物に感じていたのは「めんどうくさい構造だな」といったものだけでした。
 世界遺産に登録されて初めて調べる気になり、調べたから分かり、実際に見たから感じる――なぜそいう手続きをしないとダメなのでしょう。
 何の知識もなくこの本館を訪れて、壁にかかる絵画より先に建物の美しさに打たれ、しばし佇む――そんな人はおそらく毎年何千人もいたはずです。
 なのに私には分からない。

 私にはそういう悔しさがあります。

 また、日本画の良さや陶磁器・工芸品といったものに心打たれるようになったのはここ十数年のことです(50歳を過ぎてから)。それまではほとんどわからなかった。
 それなのに十代やそれ以前の若年で、尾形光琳に身を震わせ、葛飾北斎に驚嘆し、あるいは柿右衛門の壺に魅了され、能や狂言に心酔した、そういう人たちがたくさんいるのです。
 その人たちに比べたら、私の人生のなんと貧しかったことか――。

 美しいものを美しいと感じる力は一流のものに数多く触れることでのみ育ちます。子どもたちには限りなくたくさん、そうした経験を積ませたいものです。

(追記)
 今回、久しぶりに国立西洋美術館常設展に行って、驚くほどたくさんの人がバチバチ写真を撮っているのに気づきました。
 係の方に聞くと、表示(撮影禁止)のない作品については自由に撮影してかまわないということでした。日本の美術館にしては珍しいことですが、おかげでたくさんの写真が撮影でき、その点でも楽しい絵画(建築)鑑賞になりました。