金環日食、ご覧になりましたか。日本の3大都市を通過する金環日食は932年ぶりだそうです。
私は朝6時に家を出て高速を走り、A市のNサービスエリアで日食観察をしました。
右がその時の写真です。
カメラは詳しくないのでどうやったらうまく取れるのか分からず、カメラの前に日食眼鏡を翳してあれこれガタガタしているうちにフラッシュの強制発光をしてしまい、その瞬間に撮れたのがこれです。日食の上でもやもやしているのがフラッシュの反射光ですが、これが一番いい写真です。
サービスエリアには他にも日食眼鏡で空を見上げる人がたくさんいて、ピンホールをあけた段ボール箱を動かしている若いカップルに声をかけるとK市からきたとのこと。同じようなことを考える人はいくらでもいるものです。
「昨日眼鏡を買いに行ったのだけれどもう売ってなくて・・・」
確かにどこも売り切れでした。
次回は、部分食が2016年、2019年、2020年とそこそこあるのですが、皆既日食・金環日食となると極端に減ってしまいます。
2030年に北海道で観測される金環日食、2035年に能登半島と茨城県を結ぶ一帯で起こる皆既日食、2063年に青森県を横断する皆既日食。今回のような大規模な金環日食が起こるには2312年まで待たねばならないそうです(待てないな)。
日食がなぜこんなに難しいのかというと、基本的に宇宙の広さのせいなのです。私たちは意識できませんが、地球と月と太陽が一直線に並ぶというのはこんな感じになります。
「地球をバレーボールの大きさに縮小すると、太陽は5km先にあるガスタンク。その間に割って入るのはゴルフボールより少々大きい月。バレーボールの地球より6m30cmのところを動いている」
バレーボールを胸に抱いて、6m先のゴルフボールを思い浮かべてみて下さい。確かにゴルフボールの影がバレーボールにあたるのは容易なことではありません。
なお、西洋占星術では日食は騒乱の前兆、東洋占星術では皇帝の死の暗示です。
西暦628年3月2日、大規模な皆既日食が奈良を通過します。その4日後、時の天皇である推古は田村皇子(のちの舒明天皇)と聖徳太子の子山背大兄王をそれぞれ呼び、言葉を伝えたあと翌日亡くなります。
占星の暗示を恐れてのことだと言われています。