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「道徳教科化の行方」②

 現在、小学校の学習指導要領の「道徳」はこんなふうに始まっています。

 第1 目標
 道徳教育の目標は,第1章総則の第1の2に示すところにより,学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。

 道徳の時間においては,以上の道徳教育の目標に基づき,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特別活動における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこれを補充,深化,統合し,道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め,道徳的実践力を育成するものとする。

 私たちが「学校教育のすべての場面において道徳教育を行う」と考える根拠がここにあります。「道徳」は「教科」「外国語活動」「総合的な学習の時間」「特別活動」と並ぶ重要な柱で、だからこそ教科や特別活動に忍び込んで「道徳教育」を実現しようとできます。

 例えば「特別活動」(行事や学級活動)の計画を見るとほとんどの場合に道徳的な目標が入っています。総合的な学習の時間や外国語活動でさえ、常に「態度」が問題とされるのは「道徳」がいかに高い地位を有しているかを如実に表すものです。

 道徳教育と「道徳の時間」は同じものではありません。強いて言えばそれは運転免許講習の学科と実地のようなもので、道徳の理念的な面は「道徳の時間」に学び、実際に「考え」「行動し」「身につける」のは「すべての教育課程」の中で行うもの、それが私たちの考え方でした。
 そうした感覚からすると「道徳の教科化」は格下げでしかありません。国語や数学と肩を並べるわけで、そうなるともう国語の時間や特別活動の時間に道徳的指導はできなくなってしまいます。社会科の授業中に漢字練習をさせたり、遠足の最中に英単語の暗唱をさせてはいけないのと同じです。道徳の教科化を言い立てている人たちには、そうした感覚はまったくありません。

 おそらく、政治家や政府の人たちは焦れているのです。
 学校からいじめも不登校もなくならない、学力世界一の座も滑り落ちて長くなる。オリンピックの金メダルも頭打ち、久しく期待されている日本のスティーブ・ジョブズビル・ゲイツもいっこうに現われない。これはひとえに日本の教育に問題があるのだ。

 自分たちは今日このような地位に上るまで、多くの素晴らしい人に出会い、素晴らしい書に出会い、素晴らしい言葉に出会い支えられてきた。そうしたものに出会えば、きっとこの子たちも優れた道徳性を身につけるに違いない・・・たぶん、そんなところです。

・教材は、徳育にふさわしい、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典、物語などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したバランスのとれた、子供たちに感動を与える多様な教科書・教材を作成する。

・美しい心の伝統を語り継ぐことを重視し、言葉や文学による徳育を推進する。

 平成19年12月25日の教育再生会議第三次報告にはそうした“道徳教育”への思いがいっぱい詰まっています。
 しかしこの人たちは知らないのです。現場には「子供たちに感動を与える多様な教科書・教材」はいくらでもあるのです。素晴らしい授業・教育活動もたくある。ただそうした教材・授業をもってしても、全員を聖人の高みに持ち上げることはできないのです。

 どんな試みをもってしても国民全体に東大受験生並みの学力をつけられないのと同じように、道徳的な格差はゼロにはできません。いじめ・不登校の問題が「道徳」によって解決するかどうかも不明です。