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「女性の凄まじさ、自分のためでなく誰かのために死ぬ幸せ」~NHK大河ドラマ「八重の桜」が前半の佳境にさしかかった

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」が前半の山場にさしかかっています。鶴ケ丘城の攻防です。今週はいよいよ幕府軍が城の真下まで入り込み、城の内部に侵入し始めました。男装をした八重は子どもを中心とする鉄砲隊を率い、最前線を駆け回って幕府軍の先鋒と壮絶な撃ち合いをしています。東洋のジャンヌ・ダルクと呼ばれるそうですが、絶望的な戦に自ら乗り込んで銃を構えるという点ではむしろデビー・クロケットです。
*と言ってもこの例、ほとんどの人が分からないでしょう。「オールド・ムービー・ファンならジョン・ウェインの『アラモ』で、そうでない人もNHKの『みんなのうた』で大流行した『デビークロケットの歌』でよく知っているはずです」と言われても、実際に分かるのは私を含めて相当な年輩だけです。

 歴史というのはたいていの場合、勝者の側から書かれます。したがって幕末のペリー来航から戊辰戦争の終了(五稜郭の戦い)までの間で、会津戦争は小さなエピソードでしかありません。すでに趨勢は決まっていて、会津で立ち止まる理由はないからです。
 実は今回、「八重の桜」を見て私は初めて会津藩の立ち位置というものを理解しました。もちろん新撰組の上部組織としての会津藩も、奥羽列藩同盟の中核としての会津藩も知っています。しかしその二つがうまく繋がっていなかったのです。会津がどう動いたかということよりも鳥羽伏見がどう戦われたか、江戸城がどう開城されたか、会津戦争の間江戸では何が行われていたか、そういったことに心が奪われているからです。

 しかしその歴史のひとコマひとコマにも、生きとし生けるものの人生はありました。例えば黒木メイサの演じる中野竹子という女性は薙刀の名手で、会津戦争では娘子隊を組織して最前線に出ます。しかしすでに薙刀で戦う時代ではなく、竹子はあっけなく戦場で銃弾に倒されてしまうのです。
 すごいのはそのあとで、竹子の首級(くび)を取られてはいけないと考えた16歳の妹の優子は、竹子の首を切断して城に持ち帰るのです(伝説によると首は重くて持ちきれなかったため、付き添いの農民に持ってもらって城に戻ったといいます)。16歳の女の子が21歳の姉の首を切る――壮絶としか言いようがありません。

 また、今週の「八重の桜」では戦いに敗れた老武将(津嘉山正種佐藤B作)が自害する場面が出てきました。
「最期は、朝廷のためでもなく、幕府のためでもなく、会津のために戦うことができた」
「いい人生だったということだな」
 そう言い合い、互いに匕首(あいくち)を突き立てるのです。
 人生の最後の局面で、「自分は大義のために生きて死んだ」、そう思えることはやはり幸せなことです。神様の前に出たとき、「私は最後まで自分のために生きました」では、やはり空しすぎるでしょう。

 歴史ドラマというのは見ているだけで歴史のお勉強のできる便利な道具です。一番派手な会津戦争の場面から、改めてこのお勉強に参加してみるのはいかがでしょう。
 先日の分は土曜日に再放送があります。