カイト・カフェ

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「名城と城を築く意味」~崩れかかった熊本城を見ながら①

 地震のおかげで熊本城というものを知ることができました。
 九州は長崎県以外に行ったことがなく、失礼ながら熊本城は国宝でもないし鉄筋コンクリート造りなので興味もなかったのです。しかし今回、地震報道ととともに熊本城についても多少の紹介があり、そして何よりヘリコプターやドローンによって全体の様子を見ることができたのです。なるほど三名城と言われるだけの素晴らしい構えです。修復に10年以上の歳月と100億円を替える資金が必要だとか言われいますが、それだけの価値はありそうです。そして何より熊本復興の象徴として、今後も注目されるに違いありません。

 三名城というのはWikipediaによれば、規模において「江戸城名古屋城大阪城」、設計者によって「名古屋城大阪城・熊本城」、江戸時代に存在した巨大天守閣として「名古屋城・姫路城・熊本城」(名古屋城第二次世界大戦で、熊本城は西南戦争でそれぞれ焼失)ということになるのだそうです。しかしやはり「名城」と言うからには武力装置として完成度を考えるのが適当で、「名古屋城大阪城・熊本城」の三城で決まり、と私は思います。

 城郭については大昔(といっても20年ほど以前)社会科の授業で扱うためにかなり突っ込んで調べたことがあります。調べたうえで結局授業には乗らなかったのですが、やはり勉強すると興味はわいてきます。以後、職員旅行などで城のある町に行くと城郭には必ず寄ってみることにしています。
 本来の城は敵に攻められた時にいかに撃退するかという、ただひとつの目的のためにつくられたものですから、びっくり箱のような仕掛けに満ちていてとても面白いのです。
 石垣を登ってくる敵をここまで引き寄せて石をゴロゴロ落とすとか、天守閣の中に入り込んだ敵はこの位置で待ち伏せし、そこも撃破されたらこの場所で再度挑戦する、そんなことを考えながら見学するのはなかなかワクワクする体験です。
 熊本城がそれほどの名城なら、復興の暁には私も行って見てみよう。今回の震災でたくさんの映像を見せられ、今はそんなふうに思っています(10年後も生きていればですが)。

 ところで城郭について勉強するさらに以前、自分が勤務するのとは別の学校の研究授業で戦国時代の戦闘のことが話題になり、そのとき一人の先生が、
「籠城という絶望的な戦いに追い込まれた城主が・・・」
という話を始めて心に引っかかったことがりました。まだ教員になったばかりで勉強の行き届いていない時期のことです。
 何が引っ掛かったのかわからないのですが何か違和感がある――。

 話はそのまま進んでしまい結局ひとつの発言もしないまま戻ってきたのですが、家に帰ってからその引っかかりの意味が分かりました。籠城戦が絶望的な戦いなら、なぜ外に出て野戦を行わなかったのか、いやそもそもそんな「絶望に備えて城郭を整える」ということ自体が変じゃないかい、ということです。
 ああ、援軍を待っていたのかもしれない、逆転の可能性があるから城にこもったのかもしれない、そこまで突っ込んで質問をすればよかった、もしくは私自身が調べてみればよかった、そんなふうに考えてホゾを噛んだのです。
 しかしよく考えればそれも変です。
 敵に攻められて劣勢に追い込まれ、しかし援軍の来る可能性があるから頑張る、そういったかなり特殊な状況に備えて城を設けるというのもやはり変なのです。

(この稿、続く)