カイト・カフェ

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「日本ダービー」〜競馬の話

 日本ダービー、終わってみればやはりキズナか、というレースでした。

 ただし最終コーナーを回ったところで18頭中後ろから三番目、一時はテレビカメラのフレームからも消えてしまったキズナが、そこからグングン伸びて最後は一着という圧巻のレースで、テレビの前の私まで興奮して快哉を叫んでいました。馬券を買った人たちには痺れるようなものだったに違いありません。
 ・・・と知ったかぶってみましたが実は私まったくの素人で、競馬ファンでも馬に詳しいわけでもありません。キヅナの名前もレース直前に初めて知たようなものです。

 もっとも昔、友人に熱烈な競馬ファンがいてしょっちゅう講釈を聞かされていましたので、何も知らないという訳でもありません(学生時代、その友人の強力な推薦で日本ダービーハイセイコーを買ったのが、最初で最後の競馬経験です)。

 すべての勝負事には確定勝負と不確定勝負という二つの側面があります。
 確定勝負というのは実力差がある場合強い者が必ず勝つもの。将棋や碁がそれにあたり、ある意味すべての競技スポーツは確定勝負だという言い方もできます。私がどう転んでも相撲で白鳳に勝つことはありませんしダルビッシュの球を打ち返すことはできません。したがって確定勝負では力が拮抗する者同士でしか対戦ができません。

 それに対して不確定勝負は、例えば二個のサイを使って “丁”か“半”を問うサイコロ賭博のように、すべてが偶然(そう言って悪ければ“運”)にゆだねられます。素人もプロも同条件です。そもそも実力差というものが生じません。

 ただし普通、多くの勝負は確定・不確定の両方の要素を持っています。例えば麻雀やパチンコは幸運が重なれば素人にも勝ち続けるチャンスが生まれます。確定・不確定の二つの要素がうまく配分されていて、だから廃れないのです。

 競馬もその配分が実に巧妙です。
 何と言っても血統が最優先でエリートは常に強い。しかし必ず勝つとは限らない。なぜ勝つとは限らないかというと、競走馬にはそれぞれ非常に強い個性があり、個性と個性のぶつかり合い、組み合わせの中からさまざまな状況が生まれるからです。

 距離は重要な条件です。長い距離は苦手という馬もいれば大好きだという馬もいます。芝コースが好きな馬もダートが好きな馬もいます。雨でぬかるんだコースが好きな馬もまったくダメな馬もそれぞれいるのです。
 “一番でなくちゃダメなんです。二番ではダメなんです”という馬がいます。こういう馬は他に抜かれた瞬間に意欲を失ってしまいます。前の馬の跳ね上げる土を被ったらおしまいという馬もいれば、集団で走ること自体が嫌いな馬もいます。力を溜めておいて最後に発揮すれば爆発的な力を生み出すのに、いつも闘争心に駆られて最初から突っ走ってしまう馬もいます。

 馬券を買う人たちはそうした条件の一つひとつを検討し、その日その時の馬場の状態や気候、対戦相手の様子などを加味しながら資金を投入します。騎手たちもその日のコースの条件を加味しながら、馬の性格を考え、レースを組み立てます。

 一昨日もキズナに乗る武豊はレース序盤で前に行こうとする馬を押さえ(キズナを手綱で押さえ)、いったん後方に下げてから最終コーナーを過ぎたところで勝負をかけます。たぶん、終始心の中で馬に語りかけながら走っていたはずです。「行くな、下がれ、我慢しろ、今は時じゃない、行くな、行くな、行くな・・・」。そうして第4コーナーを回ってからは「行け! 行け! 行け! 行け! 行け・・・!」

 生徒を馬に例えてはいけませんが、私はしばしば生徒がわがままで頑固な競走馬、そして私がそのジョッキーといった思いにはまり込むことがあります。特に生徒指導上の問題が発生したときは、心の中で「行くな、行くな」「行け!行け!」と常に叫んでいるのです。

 ただしもちろん、そんなふうに一対一の気持ちで一人の生徒に向かい合う時間は、それほど長くはありません。それが残念なところです。