「天才親の世界」

 子どもが小さなころ、土曜日にピアノ教室とスイミングスクールに連れて行くのは私の仕事でした。子どもがピアノ練習をしている間は車の中で本を読み、水泳の間は観覧室兼待合室で同じように待っている他のお母さんたちの会話に、耳をダンボにして傾けるのが楽しみでした。

「ウチの子はどうせ大学へは行かないだろうし・・・」.といったところから始まる会話は、とりあえず「大学へ行かない我が子の人生」というものを考えたこともない私には、とても新鮮でした。

 ただし聞きながら「これは危険だな」と思うことが幾たびもありました。例えば、

「大丈夫よォ、○○ちゃんだもの。ウチの子だって何度も学校に行くのを嫌がったけど、結局休み続ける勇気なんかなくて学校に通ってるんだから」

「心配なんかいらないわよ。私なんか何にもしないけど子どもは普通に育っているモン」

 

 勇気がなかったから不登校にならなかったというのは単なる仮説です。「何にもしなかった」と言ってもそれは「母親が何もしなかった」だけで、父親や祖父母が必死でがんばった成果なのかもしれません。

 さらに言えば本当に「何もしない」ように見えて、実は大変なことを成しとげている親もいたりするのです。天才と言ってもいいほど「親業」の向いている人たちです。

 K・陽子ちゃんという女の子は中学生なのに保育園児のように無垢で、頭が良く、きちんとした所作振る舞いのできる子でした。どんな素晴らしいお母さんに育てられているのかと意識的に見ていたのですが、これが何と本当に口うるさい。

「親が口うるさく言いすぎると子どもがだめになる」という時の親の見本にしたいような人です。

 しかし2年、3年と付き合ううちに、この母親に一つの発見をします。口うるさいと言ってもいつも2〜3種類のことしか言っていないのです。常に躾ける項目は二つか三つ、それが達成されると次の二つか三つ・・・。そうしたことが自然のできるところが天才です。よい子が育ちます。

 別の話をしましょう。

 まだ土曜日の授業のあった時代のことです。ある月曜に提出された男の子の日記に、母親がびっちりと細かな書き込みをしてありました。

「先週の土曜日は体の調子が悪く、済まないと思ったのですが子どもにお金を持たせ、コンビニで弁当を買って学校に持って行かせました。そうしたら帰ってきた息子がプリプリ怒っていて、『あんな弁当持って来たのはボク一人だった』と言います。ああ、やっぱり―」

「ああ、やっぱり」のあとは当然「無理をしても作ってあげればよかった」、そう書いてあると思ったのですが、何とそこにあったのはまったく別の言葉でした。

「ああ、やっぱり男の子でもお弁当のつくり方を教えておけばよかった」

 私は心の中でジャンプしそうになりました。“自立的な子どもを育てる親はこんなふうに考えるのだ!” 相手が小学生なら無理しても作ってやるべきでしょうが、中学生の親ならこう考えなくてはなりません。

 若い母親同士が情報を交換し合い支えあうのは大切なことです。

 しかし「何もしなかった」「大したことはしてない」といった言葉を迂闊に信じてはいけません。世の中には親として天才的な人がいくらでもいて、本人は「何もしなかった」つもりでも、実に鮮やかな子育てをしている場合があるのです。

 あの人たちが何もしていないように見えるからといって、あなたまで何もしないでいいわけがありません。凡才は必死に頑張らないといい子は育たなのです。

 子どもが危機状態だというのにあまりにものんびりしている親がいたりすると、そんなふうに言ってやりたくなることがあります。もちろん実際には言ったりしませんが。