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「英米人にとっても難しい英語、日本語は楽だが落とし穴がある」~日本人にも難しい日本語①

  日本人に比べ、欧米人には識字障害が極端に多い。
  それは英語が難しすぎるからだ。
  それに比べたらはるかに楽だが、
  日本語にだって難しさはある。
 という話。(写真:フォトAC)

【識字障害の話】

 識字障害(ディスレクシア)というのは知的障害がないのに文字が音に結びつかず、文字が読めなかったり書けなかったりする発達障害のひとつです。英語圏では大人の10%~20%にディスクレシアの傾向があると言われ、俳優のトム・クルーズやローランド・ブルーム、同じ「パイレーツ・オブ・カリビアン」のキーラ・ナイトレイ、映画監督のスティーブン・スピルバーグ。古くはレオナルド・ダ・ヴィンチエジソンアインシュタイン等は、みんな識字障害を告白したり疑われたりしています。政治家のブッシュ(ジュニア)元大統領も、愛読書は「はらぺこあおむし」だと言っていたくらいですから相当に怪しいと言えます(特にIAEAとかいった略語が苦手でした)。
 日本人の識字障害の発現率は、きちんとした統計がないのですが、推定で4・6%程度だと言われ、欧米人よりかなり低くなっています。これについて「欧米では識字障害に関する研究が進んでいるため、より多くが掘り起こされている」という見方もありますが、私は、基本的に英語の表記が難しすぎるからだと思っています。

【英語は英米の人にとっても難しい】

 日本人だって欧米人だって頭の良し悪しは同じです。科学も芸術も、あちらが優秀でこちらはダメだなどということはなく、同じように考え、同じように何かを生み出せませます。
 ところがそうした思考を司る日本語と英語の、文字だけに注目すると、日本語は平仮名の清音だけでも46文字。促音、拗音、濁点、半濁点などの表現もいれると106もの文字表現があって、カタカナを含めると2倍。さらに漢字は小学校で習うものだけでも1026文字、それを含めた常用漢字は2136文字もあるのです。
 日本人がそれだけ大量の文字を用いてようやく行っている思考や概念操作を、欧米人はアルファベット、わずか26文字でやり遂げようというのですから難しいに決まっています。
『「beautiful」は「ビューティフル」であって、「ベアウティフル」ではない』
という日本の子どもの、英語習得の最初で最大の関門は、欧米の子どもだって同じなのです。結局おとなになってもうまくいかない人は、いくらでもいます。

 それに対して日本の子どもは、基本的に小学校の1年生を終えると自分の考えたことをすべて文字に起こせます。平仮名だらけだと読みにくいかもしれませんが、書けることは書けるのです。英米人には絶対に真似できない――ほんとうに幸せですね。

【日本語の表記の例外「は」「へ」「を」】

 ところがそんな便利さに余裕を見せていると、意外なところに落とし穴があったりします。
 最初の例は助詞の「は」「へ」「を」です。

 「私は」の最初の「わ」と最後の「は」は同じ「ワ」という音です。「駅へ」の最初の「え」と最後の「へ」も同じ「エ」です。同様に「お菓子を」の「お」と「を」も同じ「オ」です――と説明すると、必ず異論が出ます。
 愛媛県出身者の多くが、そして静岡県でも長野県でも、愛知県や滋賀県茨城県の一部でも、『「を」は「wo」だろ』と言い出す人が出てくるのです。実際にそのように発音しているからです。もう20年以上前のことですが、それが犯罪捜査の決め手になったこともあります。
(同じように「私は」の最初の「わ」と最後の「は」を使い分ける人たちがいて、それは高知県西部に実在する、という話を聞いたことがあるのですが、いまだに確認できていません)
 
 なぜ日本の中に「を」を「wo」と発音する人がいて、しかもけっこうな数で日本のあちこちにバラバラに存在するのかというと、いずれの御時(おんとき)にか、日本人の大多数が「を」を「wo」と発音する時代があって(*1)、その後、変化の激しい都会を中心に「を」を「o」と発音するように変化したのに、田舎は乗り遅れて残ったと考えるのが合理的でしょう。
 発音ばかりでなく品詞にも同じ現象が起こり、身元を特定されたくないので具体的には言いませんが、我が田舎県にも、日本中で私のところと京都でしか通用しない物品の名称があったりします。同じ現象は地球規模でもあって、現在でもブラジルの日本人社会には戦前の古い日本語がかなり残っているといいます。古い言葉は辺境に残るのです。
*1・・・詳しくは「ハ行転呼」を調べるといいかもしれません。

話し言葉と書き言葉】

 英語に比べたらはるかに少ない日本語表記の難しい側面には、他にも「話し言葉」と「書き言葉」の違いなどもあります。
 現在はかなりあいまいですが、それでも「やっと」だとか「やっぱり」とかいった話し言葉を文章にするときは「ようやく」や「やはり」に書き換えた方が無難です。かぎかっこ付きで話し言葉だと示した上で「やっと」「やっぱり」と書くのはかまいませんが、何の前提もなく地の文に使うと違和感を持つ人は出てきます。
 他にも「なんで」→「なぜ」、「どっち」→「どちら」、「でも/だけど」→「しかし/だが」など、ある程度の勉強をして使えるようにしておかないと、話し言葉と書き言葉が混在して、文章がぎくしゃくする場合も少なくありません。

 さらに、それとは違いますが「~なんです」と「~なのです」、「ぼくんち」と「ぼくの家(うち)」のような撥音便に関わる表記の修正ということもあります。
 英語ほどではないにしても、日本語の表記のルールも意外と面倒くさいものです。

【タイム・アップ】

 さて、以上は私が数十年かけてようやく身につけて来た文章の基本ルールの一部です。ここ20年近くは毎年200日以上、最近では原稿用紙で1日10枚程度の文章を書きながら磨いてきたものですが、それほどやって来たにも関わらず、まったく気づかなかったことがあり、今日はそれについて書こうと思ったのです。
 しかし本論に至る前に、あれこれ思い出したり調べたりしているだけで、時間が来てしまいました。いつもの悪い癖です。
 続きは、明日お話ししましょう。
(この稿、続く)