カイト・カフェ

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「雑多な、どうでもいい三つの話」~人生の答え合わせ②

 4年前、40年ぶりに始まった同窓会、
 コロナ禍を経てようやく再開された。
 しかし期待していたような話は少なく、
 むしろ意外なところで収穫があった。
という話。(写真:SuperT)

【同窓会の話題】

 あの頃の私はどんな人間だったのだろう?
 当時もその後も長いあいだ客観的に見ることのできなかった自分を、遠く離れた今の時点から見つめ直し、何と何が対応するのか対照してみる。具体的な、目に見える形でのあの頃の願いはかなわなかったにしても、本質的な意味での希望は実現したのだろうか、実現したとして何割程度達成できたのか、そういったことも確認したくて参加した同窓会でしたが、なにしろ顔を合わせての会は4年ぶり。互いの近況報告と欠席者の様子、いまや消息は分からなくなっているが比較的最近まで連絡のあった人たちに関する情報交換、そんなことをしているうちに時間は刻々と過ぎていきます。
 そのうちウクライナ情勢だのアメリカ大統領選挙だのの話に変わって行ったのは、やはり私たちが政治学専攻で国際政治を中心としたゼミ仲間だったからなのでしょう。顔を合わせることで過去への時間が一気に縮むと、かつての自分たちが出てきます。

 そんな中から来た、三つの、どうでもいい話を取り上げて、ここにメモしておきます。
 ひとつは学生時代とその後の私の生活について私自身が忘れていたこと。ひとつは私がいつも気にしている就職超氷河期時代の子どもたちがいなくなったという話。そして最後が「ジェット機が飛ぶ限り、地上を石油で走る車はなくならない」という話です。

【Who am I ?】

 私は子どものころから人見知りで、なかなか人と打ち解けようとしない。誰かが心の中へ踏み込んでくることに極端に臆病で、なかなか腹を割らない。そういう自分の生活を見せない人間でした。
 今回同窓会を開いたゼミの仲間も、実は大学3年で選んだゼミが教授の退官のために1年でなくなってしまったあと、仕方なく選び直して1年間だけ在籍したゼミナールで、それだけに深い関係を築く前に卒業を迎えてしまった――と、そんなふうに記憶していたのです。ところが話しているうちに、とにかく私のアパートに来て泊まったことが何回もあるという連中がかなりいたので驚きです。
 中にはアパートを引っ越すのに移転先の部屋が空かなくて、仕方ないので荷物ごと一週間も私のところに世話になったという話まで出てくる――言われて初めて「ああ、そういうこともあったな」ということになるのです。私の記憶力はどうなっているのでしょう?

「そういえば◯◯さんも、一緒に、よく一晩過ごしたなあ」
と、当時の私がかなり強く心を惹かれた女性の名前も出てきます。私は心惹かれたのですが彼女には高校時代からの恋人がいて、私など歯牙にもかけなかったくせに何故かいつも近くにいました。しかしそれにしても一晩泊っていくなどということがあったかどうか――そのあたりの記憶はまったくあいまいです。また仮にその通りだったとして、彼女一人ではなく、みんなで泊まったという話に何の意味があるのか――首を傾げることしきりでした。
 私の部屋ですき焼きパーティーをやったことがありました。しかしそれ以外に、どんな流れでどんなふうに私のアパートまでたどり着き、泊まることになったのか、一晩何をして過ごしたのか――私の話ばかりしているわけにもいかないので聞きそびれましたが謎ばかりです。次回は聞いてみましょう。
 若いころの私という人間がますます分からなくなりました。じっくりと探求してみましょう。

【就職超氷河期の子どもたちはいない】

 さらに酒と会話が進み、どういう繋がりだったのか、ある瞬間、私のかつての教え子で、就職を超氷河期に向かえた子どもたちの話をはじめた時、とつぜん食いついて来た男がいます。生え抜きで中堅企業のトップに上り詰め、今も社長として働く現役バリバリの彼です。
「オイ、その人たち、どこにいるんだ?」
 
 聞くとほぼ40歳代に重なる就職超氷河期の層が、彼の会社でも人数的に大きく落ち込んでおり、将来の経営を見越して40代にねらいを絞った募集を再三かけているのにさっぱり応募がない、けっこうな高給を提示しているのに問い合わせすらない、いったい彼らはどこにいるのだ? と言うのです。
 私も分からないので、
「やはり慣れた仕事を手放すことには抵抗があるんじゃないかな」
程度のことを言って、その場はお茶を濁しました。
 その夜、泊めてもらうことになっていた娘の家でその話をすると、就職超氷河期世代に多くの先輩を持つ娘はひとことで言い放ちます。
「当たり前じゃない! みんな必死になって掴んだ仕事で、一生懸命腕を磨いたの。今さらその歳で、多少条件がいいからって新しい職場に行けるはずがないじゃない」
 なるほどそういうものかと、改めて思いました。

 人は苦しくてもせっかく選んだ職は容易に離そうとしない。ましてや切磋琢磨して技術を磨いたあとでは――。そのときふと思い出したのは、昔あった「地元の学校で5年間教職に就けば奨学金を返済しなくて済む」という制度です。私の妻などは倍の奨学金を受け取っていたので10年の縛りを受けていたといいます。
 石の上にも3年、それが3倍以上の10年も頑張ればどんな職に就いていても一人前になれるはずです。そして簡単には辞められなくなる――教員不足解消の切り札とはならなくても、一助くらいにはなるに違いありません。

【ジェット旅客機が空を飛び続ける限り、ガソリンエンジン車は地上を走る】

 しばらく前に、世界的な電気自動車ブームにブレーキがかかり、ハイブリットを中心としたガソリンエンジン車が見直されようとしている、というニュースがありました。結局は電気で走る自動車の時代が来るにしても、そう単純に進化するものではない、という話として私は受け取りました。ところが一緒に飲んだ仲間によると「ジェット機が空を飛ぶ限り、ガソリンエンジンの車は地上を走り続ける」らしいのです。

 ジェット機の燃料は灯油とほぼ同じ成分の石油です。石油精製を経て生産されてきます。その石油精製とは――簡単に言ってしまうとありとあらゆる製油製品の混ざりものである原油を、アスファルト重油軽油、灯油、ガソリン、ナフサなどに分類することを言います。それら石油製品の内のひとつだけを生み出すのは不可能で、例えば冬場に灯油の需要が高まるから灯油生産を増やそうとしてもアスファルトやら重油軽油・ガソリンやらも自動的に増産されてしまいます。他にさまざまな要素があるので単純には言えませんが、基本的には「その状況では副次的に増産された石油製品は値が下がる」仕組になっているのです。

 将来、地球上を走る自動車のほとんどが電気自動車となり、室内暖房も電気が中心になるにしても、飛行機が空を飛ぶ限りジェット燃料(灯油)は不断に生産され、副産物としての軽油もガソリンも生産され続けます。それらの生産を止めるわけにもいかず、かといってすべて捨てるわけにはいきません。そこでこれらの値段が下がっていきます。果てしなく下がって行って、やがて限界まで安くなると。ガソリン車・ディーゼル車、そしてハイブリット車といった化石燃料車が復活します。
 人々に「ガソリン1リットルが100円を切っても高価な電気自動車に乗り続けるか」と問えば否という答えが返ってくるでしょう。環境保護を理由に政治が化石燃料車ゼロを強制すれば政権は倒れます。ゆえに、ガソリンエンジン車はなくならないというのです。私にはよく分かる話でした。
(この稿、続く)