叔母は最後まで麻雀仲間にこだわって亡くなっていった。
それは4人そろわないと遊べない麻雀の美しい一面だが、
一方、その不思議な点数計算について考えてみると、
ダメな男たちのダメな歴史が浮かび上がってくる。
というお話。
(「マージャン」フォトACより)
【叔母:キョウヨウのある晩年】
一昨年、91歳で亡くなった叔母が、救急搬送された病院で最後まで心配していたのが翌日、自宅でやることになっていた麻雀の中止をどう仲間に知らせるかでした。叔母は足が不自由で外に出られなかったので、自宅を会場にしていたのです。
駆け付けた長男が「そんなことはオレがやるから」と言ってメンバーの名前をメモして、住所録の在りかを確認すると、ほっとしたかのようにその夜の内に亡くなってしまいました。
もう何年も前から週3回ずつ麻雀を打っていた仲間ですから、よほど大切だったのでしょう。
叔母がいつごろから麻雀をやっていたのかは聞きそびれました。私より一世代上ですから学生麻雀ではありません。
連れ合いである叔父がなかなかの遊び人でしたからそこから手ほどきを受けたのかもしれませんし、考えてみたら地域の社会福祉協議会の行事にも「麻雀教室」というのがありますから、高齢になってから覚えたものかもしれません。
いずれにしろ人生の最後の時期に良き友に恵まれ、一日おきに楽しみにすることがあったのは幸せでした。
まさに「キョウヨウ(今日すべき用事)」のある晩年でした。
【確定勝負と不確定勝負】
囲碁・将棋・オセロ・麻雀、競馬・競輪・競艇・オートレース、チンチロリンに丁半、花札・ポーカー、バックギャモン、パチンコ・・・世の中に勝負事・ギャンブルと呼ばれるものは数知れません。しかしすべての勝負は、基本的に「確定勝負」「不確定勝負」の二つに分類できます。
確定勝負というのは実力差がそのまま出てしまうようなものです。例えば囲碁や将棋は相手を選ぶかハンディをつけないと勝負になりません。私が将棋で藤井聡太君に挑んでも、100回やれば100回、1000回やっても1000回、必ず負けます。それは確定勝負だからです。
一方、不確定勝負は偶然がものを言います。典型的なのは丁半博打で、半か丁かは統計的には五分五分の確率で起こり、熟練とか才能とかは関係ありません。初心者にも勝つチャンスはあり、頼るべきは技術ではなく運です。
もっとも完全な「確定勝負」「不確定勝負」というものも少なく、その中間にあってどちらに傾くかによってゲームの性質が変わってきます。
競馬は研究の度合いによって当たる確率を上げることはできますが、必ず勝てるというわけにはいきません。花札は初心者と熟達者が戦えばおそらく熟達者の方がかなり勝率を稼げるはずですが、いくらもしないうちに初心者の技能が追いついて「不確定勝負」の要素が強くなってくるでしょう。
麻雀はそこが微妙で、確率論で迫ればかなり確定勝負的で、熟達者の方が圧倒的に強くなりそうなのに、ひとり強運の持ち主が入るだけで局面はまったく変わってしまいます。
100局とか1000局とか続けて打てばおそらく熟達者の方が成績は良くなるでしょう。しかし部分的には初心者が大勝ちすることもあります。そこがこのゲームの面白さで、がんばって努力すれば腕は上がる、しかし発展途上でも時に熟達者と互角の勝負ができる、だからやめられないという面があるのです。
【私のこだわり――点数計算の謎】――興味のない方は読み飛ばして①
ゲームそのものの面白さと同時に、私はひところ麻雀の成り立ち自体に興味があって、ずいぶんと調べたことがあります。
今と違ってインターネットなどない時代ですので大変苦労したのですが、大昔から中国で行われてきたと思っていた麻雀の歴史が意外と浅く、ここ150年ほどのものであること(元となったゲームには1000年余りの歴史があるそうですが)、1920年代に世界的ブームとなって特にアメリカで大きな変化を遂げたこと、リーチと言った英語が使われるのもそのためで、多くの役がアメリカ産であること、そういったことはすぐに分かりました。
分からなかったのが点数計算です。
麻雀では14枚の牌がさまざまなルールにしたがって揃ったときに“アガリ”となりますが、基本的に3枚組4セット(12枚)と2枚組1セット(2枚)計14枚5セットの各組に、点数の決まりがあります。例えば「三萬」「四萬」「五萬」という順番揃えのセットは0点、表に「六萬」とか書かかれた牌(あるいは円や棒の絵が複数描いてあってその数がまったく同じ牌)、そういうもの3枚の集めると2点、だたしその数が1と9あるいは文字だけの牌(これをヤオチュハイまたは一九字牌と総称します)で3枚集めた場合は8点といったふうです。
さらに細かなルールに従って点数がつき、それを全部たしたら26点という場合は1の位を切り上げて30符という言い方をします。それが基本の点です。
次に14枚の構成を見て“役”と呼ばれるポーカーで言えば「ワンペア」とか「スリーカード」に当たるものがどれくらいあるかを計算します。ひとつしかなければ「一飜(イーハン)」、二つならば「二飜(リャンハン)」という言い方になります。
そして点数早見表に照らし合わせて見ると、30符で一飜の場合は1000点、二飜の場合は2000点と書いてありますから、その点数のやり取りをすることになります。ここまではいいのです。早見表を見て覚えればいいだけですので。
困るのが三飜です。一飜で1000点、二飜が2倍の2000点なら、三飜は4000点でなくてはならないのに、早見表では3900点なのです。これに私は引っ掛かります。
先輩に訊けば、
「そんなの覚えりゃいいじゃん」
ということになりますが、筋の通らないことを覚えるのは大変です。
【麻雀の点数の仕組み】――興味のない方は読み飛ばして②
30符だと1000点、2000点、3900点・・・分からない。ところが40符だと1300点、2600点、5200点で、最初の1300点は分からないものの、あとは倍々ですからその部分は分からないではない。50符も同様(2400点、4800点、9600点)、ところが60符は2000点、3900点、7700点でまた分からなくなる・・・。
こんな不合理を黙って受け入れるわけにはいかないと、数字を並べながらあれこれ計算し、何日も考えて、私はようやく答えにたどり着いたのです。
「すべての基礎点は最初に32倍して10の位を切り上げている」
のです。
30符は30と決まった時点で32倍の960点にしてしまい、10の位を切りあげて1000点。二飜は一飜の2倍なので1920点、10の位を切り上げて2000点となります。ところが三飜の場合は二飜を2倍すると3840点で10の位を切り上げても3900点にしかなりません。これが1000点、2000点、3900点の秘密です。
同様に40符は40×32で1280点、さらに2倍で2560点、また2倍して5120点。それぞれ10の位を切り上げると1300点、2600点、5200点となって早見表の値に一致します。
これでようやく安堵しますが、そこでまた新たな疑問が持ち上がります。32倍が「2倍の2倍の2倍の2倍さらに2倍」つまり2の5乗倍であることはすぐに分かりますが、何のためにそうしたかということです。
【ダメな男たちのダメな歴史】
ここから先は私の想像ですが、おそらくそれは麻雀がずっとギャンブルだったからです。
例えば「基本点が30符、一飜の役で上がると30符のままだから30セント」という時代があってそれなりに楽しんでいたのが、やがて物足りなくなって、誰かが「倍のレートでやろう」と言い出す。30セントの2倍の60セント時代がやってくる。
ところがまたしばらくすると「1回の上がりで60セントってのはどんなもんかなあ」と言い出すやつが出てきてまた2倍にする、そんなことが長い歴史の中で5回もあって結局「基本点30符、一飜の役で上がると30の32倍して960点、10の位を切り上げて1000点、だから1000セント=10ドル」という時代がやって来た、そういうことではないかと思うのです(たぶん間違っていない)。
「ゴキブリが2匹這っていても男なら賭ける」
と言われるように、ほとんどの国でギャンブルの主たる担い手は男性です。伝説の将棋打ちである阪田三吉(演歌「王将」のモデル)も、本人が賭け将棋で腕を上げたため正規の対局でも金を横に置きたがったと言います。
若いころの私が麻雀の点数計算の仕組みを考えながら思ったのは、そういった男たちの芯からダメな部分です。
ああ本当に男たちはどうしようもない。