カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「わが青春のイノカシラ」~見ていた風景が違う

 井の頭恩賜公園に40年ぶりに行ってみた。
 カップルばかりだった公園が、
 さまざまな人々に彩られている。
 しかしそれは私の大きな勘違いのせいなのだ。
という話。(写真:SuperT)

【三寺(高円寺・吉祥寺・国分寺)の彼方(あなた)】

 学生時代は東京の中央線で暮らすことが多く、友人のほとんどが阿佐ヶ谷・荻窪西荻窪を中心として、私たちが「三寺の彼方(さんじのあなた)」と呼んだ高円寺・吉祥寺・国分寺にいたため、自然とそのあたりで遊ぶことが多かったように思います。もう半世紀も以前のことです。
 ふらっと友人を訪ねたのをきっかけに飲みに行くなら地元の阿佐ヶ谷・荻窪西荻窪、きちんと約束して遊びに行くなら吉祥寺・高円寺、わざわざ人を訊ねて国分寺、そんな感じでした。金もないのによく飲みに行ったものです。
 当時の三寺、特に吉祥寺は今よりもずっと学生に優しい街で、たしかにひとつ格上な感じはあったものの、決して恐る恐る行くような場所ではありませんでした。今はネットなどでよくよく調べてからでないと、田舎者には目の玉が飛び出るほど高いお店もあって、気の抜けない街になりました。

井の頭公園

 井の頭公園はそんな賑やかな吉祥寺の南にあって、武蔵野市三鷹市にまたがる池と自然林を中心とした静かで広大な公園です。元は神田川の水源のとなる湧水のあった場所で、三鷹という名前からも分かるように江戸時代は幕府の鷹狩の場として自然林全体が保護されたようです。井の頭という地名は「井(水源)」の「始め(頭)」となる場所という意味で、その水は茶道のお茶の水として重宝がられました。現在は地下水の汲み上げ過多によって湧水としての力を失い、ポンプでくみ上げ、流しているようです。

 明治維新とともに東京府の所有となり、明治の中頃には宮内省の御用林となってそのあと一部が再び東京に下賜されたため、正式には「井の頭恩賜公園」というのが名前です。正式に呼ぶと少し印象が変わるかもしれません。

 私の記憶だと半世紀前はカップルばかりが目立つ公園でした。私自身がデートの場所としたこともありましたが、それよりも圧倒的に多い回数を、ひとりで、あるいは男友だちと一緒に歩いていたのですから、実際にはカップルばかりでなく他の組み合わせもあったのでしょう。それなのに女性ばかりの組み合わせも男女混合のグループも、なぜか記憶の中には出てきません。それどころか家族連れの姿さえ思い浮かばない・・・と、そこまで思い出して、ようやく理由にたどり着きます。
 

【酔えば泥】

 いまから考えると、ほとほと私も心病んでいたものです。まるで健康的ではなかった――。
 飲めば必ず泥酔で、誰かと一緒に騒いでいるうちはいいのですが、別れれば独りぼっちのアパートに帰るに帰れず、何かのきっかけで、――例えば「その日一番の美人とすれ違ったらそれを潮に帰る」などと決めるのですが、美人はテレビや映画で見慣れていて、どれほど美しい人が来ても帰るきっかけにはなりません。思わず笑ってしまうような面白い顔の男だとか、最も奇抜な服装の人間だとか、さまざまに想定を変えてもそもそもが帰りあぐねているのですから帰ることにはならないのです。
 ついには疲れ果てるしか方法がなくなり、そこで深夜の公園を長い長い散歩。必要なら井の頭池を2周~3周と――いや、さすがに3周はしなかったかもしれませんが、そんなことを繰り返しているわけですから、私にとって井の頭公園は「カップルばかりの公園」になってしまったのです。

【「風立ちぬ、いざ生きめやも」】

 あれから40年余り、大型連休中にたずねた午後の井の頭公園はとんでもない人出でした。家族連れはもちろん老若男女のカップル、男だけのグループ、女だけのグループ。中でも目を引いたのは外国人グループで、中にはブルーシートの上にとんでもない量の酒を並べて楽しんでいる人たちもいます。外飲みは日本の文化のひとつで、少なくともニューヨークではあり得ない風景です。酔って眠っていても身ぐるみはがされる心配はほぼないというのも観光資源でしょう。ある意味できわめて健康な世界の風景とも言えます。
 
 40年のうち最近の36年間を夫として妻とともに過ごし、34年間を父親として子と過ごしました。ジジとして8年間もう過ごしてきています。悪くない人生でした。その前の私の前半生を思うとだいぶ気の毒になります。悩むにはそれなりの事情もありました。だからもし語り掛けることができるなら、こんなふうに言ってあげたいものです。
 若者よ、
風立ちぬ、いざ生きめやも」
(風が起こった、さあ、生きてごらんなさい)
 やってみればいいのです。やってみることに価値があります。