錯誤はどこにあったのか�B

 かつて「埼玉業者テスト問題」という事件がありました。

 埼玉県の中学校では平成4年まで、およそ半世紀に渡って全県一斉の業者テストが行われ、その成績で受験校が割り振られていたのです。その事実を知ったマスコミがこれを問題とし、東京の本社から大量の社会部記者が埼玉県に押し寄せたのです。なぜ社会部の記者たちだったのかというと、メディアが汚職を怪しんだからです。

 半世紀に渡る一社独占、休日にも関らず嬉々として学校に出かけテスト監督をする教師たち……これはもう間違いなく業者からリベートが流れているに違いない、そう踏んだのです。

 しかし調べても調べても、出てくるのは真面目な教員が休日返上で働いている誠実な姿だけでした。一社独占もデータの継続性を大切にしたかっただけで、他には何も出てきません。

 記者たちは一度振り上げた拳の下ろし所に困り、結局「公立学校が民間にテストを頼るとは何事か」という、分かったような分からないような問題にすり替え、業者テストを止めさせて東京に戻って行ってしまいました。

 おかげで埼玉の中学生たちは県内における自分の位置が分からなくなり、特に東京の私立校を受験しようとしていた生徒の一部は、埼玉県に留まらざるをえなくなりました(「埼玉業者テスト問題」の仕掛け人が誰なのか、想像をたくましくさせるような事実です)。

 この「教師というのは恐ろしく真面目で誠実な人たちだ」という点を見落とすと、事態の本質が見えなくなります。

 今回の大津の事件についていうと、「市教委があんなふうに情報を隠したり小出しにしたりするは保身のためだ」という人は、市教委のことをまったく分かっていません。彼らは「保身」なんて小指の先ほども考えていないのです。もし「保身」が大事なら、世間といっしょになって学校を糾弾し、校長に責任を負わせて辞表を出させればいいのです。県教委と連絡を取り合えばそのくらい簡単にできますし、校長なんてそもそも責任を取るためにいるようなものです。

 実はそうではなく、彼らはただ守りたかったのです。今、当該校に通い、日々を生きている生徒の平穏な生活、そして未来を守ろうと大真面目で考えているのです。受験生に動揺が広がって試験に失敗したのでは可哀そうなのです。○○中学校にいたという事実は教師にとっては何の意味もありませんが、生徒にとっては傷になるかもしれません。だったら一刻も早く事態を収束させなければならない、そう考えたに違いなのです。

 だからこそ市教委は世間の矢面に立ち、「葬式ごっこの記述には気付きませんでした」などと間抜けな答弁をし、質問と非難に晒されながらも学校の取材を絶対に許可しないのです。全部自分たちで引き受け、学校の風よけになろうとしています(校長ですらメディアの前に立ったのは先週末が初めてでした)。

 しかし(繰り返しになりますが)、そのやり方は稚拙で姑息で方向違いなものでした。これだけ学校が叩かれる時代、これだけ情報技術が発達した時代、これだけ強く説明責任が叫ばれる時代にあって、自らの情報操作だけで事態を乗り切れると思ったことが間違いです。

 現代にあって「生徒を守る」「学校を守る」というのは、出すべき情報はきちんと出し、取らせるべき責任をきちんと取らせ、自らも血を流して事件をどこから突かれても困らないような形にすることです。そこまでやって初めて、事態は閉じるのです。