錯誤はどこにあったのか�A

 18年前に起こった「大河内清輝君いじめ自殺事件(愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件)」、そしてその8年前に起こった「中野富士見中学校いじめ自殺事件(いわゆる『葬式ごっこ』自殺事件)」、そして今問題となっている大津市の自殺事件、この三つにはきわめて高い類似性があります。

 その第一は、三人とも中学校2年生の男子であったこと。

 第二に、被害者と加害者たちはかなり仲の良い時期があり、少なくとも周囲からは仲良しグループと見られていたこと。

 第三に、その仲良しグループは教師たちから「困った連中」と思われていたこと(鹿川君と大河内君の場合はまさにそうであり、大津の事件についても「先生もいじめのことを知っていたけどこわくて言えなかったらしい」といった証言がある以上、中心となる子どもたちは「怖い」存在だったようです)。

 第四、いじめのもっとも苛烈な部分はグループ内で行われ、実態は外にはほとんど漏れていなかったこと(大河内君の場合は同級生にさえ漏れていなかった)。

 第五、いじめ・暴力の一部は少数の教師によって認知されていたが、いずれも本人に否定されて引き下がっていること。

 第六、しかし教師の一部は(必ずしも“いじめ”という認識ではなかったが)問題性に気づき、対応をしはじめていた矢先であったこと。

 等々です。

 教員で「葬式ごっこ自殺事件」や「大河内君いじめ自殺事件」について知らない人はいないでしょう。それにもかかわらずそっくりな事件が起こるというのは、私たちが何の教訓も学んでいなかったからと言われても仕方ありませんが、学びたくても学べない事情もあるのです。

 それは先行する二つの事件に関してさまざまな記録・ルポルタージュはあるものの、「教師たちはその時点で何を見、何を聞き、何を感じてどうしたか」という視点で書かれたものがほとんどないからです。

 例えばあの有名な、「葬式ごっこ」の追悼色紙に署名した四人の教諭たち、彼らはどういう状況で、どういう事情によって署名してしまったのか、署名せざるを得なかったのか(裁判の過程では「悪ふざけだった」と言っていますが、普通の教師、いや普通の人間ならそんな悪ふざけに加担しないはずです)、それに関する詳細が分からないのです。

 今回の大津の事件について言えば、

「一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた」

 この話に嘘はないでしょう。しかし「いじめられて苦しんでいるのを一緒になって楽しんでいた」ということはあり得ません。そんなことが他の教員や保護者の耳に入ったら、ただでは済まないことは本人も容易に分かるからです。しかしそれにもかかわらず「笑っていた」のですから、どこかに錯誤があったのです。私はそれを知りたい。

 大津の事件は学校・教委の目論見にも関らず、ずっと大きな事件に発展してしまいました。ですからこの際、徹底的に洗い出し、二度とこういうことが起こらないようにしっかりとした教訓を残してほしいのです。

 私たちはここで間違えた、そして同じ間違いはこうして生まれる、といった事をです。

                       (この稿、もう一日続けます)