誰か教えてくれる人はいないのか

 子どものころ、スティ−ブ・マックイーンの「華麗なる賭け」という映画を見て犯罪者に憧れました(あまり誉められたことじゃないな)。

 しかしそれ以降注意して見ていても、現実世界に華麗な犯罪などなく、たいていは食い詰め者が大した計画性もなく始めて、あっけなく捕まるしみったれた犯罪ばかりです(三億円事件は少し華麗だったかな?)。

 それはそうです。頭が良く決断力や判断力、行動力に恵まれた人はまっとうな世界で成功していて、犯罪などに手を染める必要はないからです。治安のよい安定した現在の日本を前提にするかぎり、犯罪はまだまだ間尺に合いません。

 

 さて、ここに一人の経験豊かな教員がいるとして、その教員が破滅を覚悟で違法行為に手を染めるとしたら、そこにはどんな理由や事情があるのか、ここのところずっとそれを考えていました。ここしばらく続いた不祥事のためです。その部分にある程度の答えがないと、予防とか対策とかがまったくできないからです。もちろん犯罪には様々なケースがありますからそのいちいちについて考えを巡らせるのですが、容易に理解できる場合もあれば分からない場合もあります。

 例えば、児童買春というのは理解できないわけではありません。とりあえず被害者が被害者らしくない上、しばしば向こうから近付いてきます。相手が10歳・12歳なら気も引けますが、16歳・17歳となると子どもらしさのまったくない娘だっています。

 生徒指導の現場で疑似恋愛に入り込んで犯してしまう青少年保護条例違反、それも理解できます。人間の心に直接的に触れている以上、そうした危険はつきものです。

 うっかりミスによる道路交通法違反というのも理解できます。考え事をしていての一時停止違反とか10km/h〜15km/hのスピード違反とかいったものは、たしかにありうると思いますし、私自身も危険です。

 しかし一般道30km/hオーバーとなると話は違ってくるでしょう。40km/h制限の道路を70km/hで走り抜けることのできる人は、日常的に20km/h以上のスピード違反を続けている人だけです。教員でそれをやっている人は理解できません。

 同様に盗撮や痴漢と行った破廉恥行為も理解できません。それらは日常の生活の延長上にはありません。「うっかりやってしまった」「むしろ嵌められた」といった言い訳の一切利かない世界なのです。なぜそんなことができたのか。

 「華麗なる賭け」ではないですが、人をすべてと引き換えに犯す犯罪ならもっと大がかりでなくてはなりません。綿密な計画と周到な準備、その上で決断をして忍耐強く取り組むべき大仕事です。ところが教員の不祥事のほとんどは、まったくそれらしくありません。まるっきり無計画で、中身もチンケです。

 私はこうした犯罪や非違行為によって懲戒処分を受けた人に、聞いてみたいのです。

 あなたにとって教職というのはそんなに軽いものだったのかと。毎月の給与や退職金は、そんなに簡単に放棄できるものだったのかと。あるいは、社会の中で孤立することは怖くなかったのか、家族から冷たく見られることは苦しくなかったのか、あなたが手に入れようとしたものはこれらの犠牲に見合うものだったのか、なぜそれで捕まらないと思えたのか、なぜその程度の準備で行動できたのかと、

―そんなことを、私が理解できるまで、じっくりと問い詰めてみたいのです。

 

 私が小心翼々として守ってきたものを、いとも簡単に捨ててしまう人たちの、その恐ろしい胆力について、誰か説明してくれる人はいないのでしょうか。