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「正義のコスト」~天下り禁止、指導力不足教員排除、義務教育の留年制度はすべてとんでもなく金がかかる

 公務員制度改革の一環として、新規採用を大幅に減らすとともに年長者への退職勧奨(退職金の上乗せと引き換えに早期退職をしてもらう)が進められるという記事が出ていました。

 ところが新規採用の大幅削減などと言わなくても、放っておいても削減せざるを得ないはずだという話が出ています。それはここ数年続いた「天下り批判」のために50代半ばで退職していた公務員たちが定年まで官庁に居座るようになったからだと言うのです。退職者が減れば新規採用も減らさざるを得ません。
 困ったことに、50代の公務員は給与が非常に高いので、この人たちが居座るおかげで給与総額が伸びてしまい、そこで「退職勧奨」の話が出てくる・・・一部のマスコミの言うことですから本当かどうか分かりませんが、辻褄は合っています。

天下り排除」という正義を貫くために、すべての国家公務員が定年まで居座るというコストを私たちは甘受しなくてはなりません。

 指導力不足教員というのは平成16年の566人(全国)をピークとして毎年下がり続けています。それにつれて「指導力不足教員ゼロ」という都道府県・政令指定都市もいくつか見られるようになってきました。しかし「そんなはずはないだろう」というのがほぼ共通する実感です。もっとも教員数の圧倒的に多いはずの東京よりもずっと母数の少ない香川あたりが大量の「指導力不足教員」を輩出しているなど、指導力不足の“認定”そのものにも怪しい面がありますから、最初から妙なのです。一体どうなっているのでしょう。

指導力不足」は犯罪でも背任でもありませんから、それを理由に即クビにするわけにはいきません。そこで1年乃至は2年といった研修期間を経てまた現場に戻すわけですが、一人の教員が現場を離れるということは別の誰かを穴埋めに入れるということです。普通は講師で対応しますが、指導力不足教員の代わりに入る講師の給与は安く見積もっても年間400万円はします。つまりひとり「指導力不足教員」を出すためには400万円の裏付けがなくてはならないのです。それが正義のコストです。

 香川県はそのコストをよく負っているということなのかもしれません()。他の県は、もしかしたらその400万円で同じように講師を雇い、チーム・ティーチングで2〜3クラスの授業の質を上げているのかも知れません。

 先日も書いた義務教育の留年制、語られている部分について言えば“正義”ですが、人間性や人間関係のスキルを高めるための学級という集団を失うのはたいへんなリスクです。しかしそれだけではありません。義務教育の留年制は予算的にも大きな問題を抱えているのです。

 例をあげます。たとえば各学年2クラス、全校で6クラスの中学校があったとします。計算をしやすくするためにすべてのクラスが定員ギリギリの40人(各学年80名ずつ)だったとしましょう。翌年の新入生も1クラス40人の計80人です。

 年度の終わりに精査したところ、3年生が3名、2年生が2名、1年生が1名の留年になったと考えます。すると翌年の3年生は全部で(80−2+3の)81名、2年生は(80−1+2で)81名、新1年生は+1の81名となります。法令によれば1クラス40名を越えるとクラスを二つに分けなくてはなりませんから、この学校の学級数は全学年1クラス増で6から9になります。

 学級数が6と9とでは教職員数が違ってきます。教職員定数は標準法にしたがって各都道府県が決めますが、6学級の学校は11人(校長を含む)、9学級だと16人というのが相場です。つまり5人の正規教員が新たに必要となるわけです。その給与ざっと3000万円ほどになるでしょうか。留年制は金がかかるといわれる所以です。

 残る問題はひとつです。それは「どんな犠牲を払ってでも正義は貫くべきか」です。

 もっとも公務員はコスト意識が薄いといいますから、結局やってしまうのかもしれません。
香川県を持ち出したのはたまたま「指導力不足教員 香川はなぜ多い−四国新聞社」という記事を見つけたからです。それも2004年の話です。最近の様子はうまく検索で取れないので分かりません。香川県の方、お気を悪くされたら申し訳ありません。

 ただし正直申し上げて、香川・徳島を始めとして四国四県は文部行政に対してまじめに対応しすぎるという気がしています。他の都道府県はもっとすれっからしです。