卒論のテーマが日本の現代政治史だったこともあって、第二次世界大戦についてかなり突っ込んで勉強したことがあります。そのとき気づいたことですが、戦争という大きな体験をしながら、戦前・戦中・戦後とまったく変わらぬ生活をした人がたくさんいます。
よい意味でのことではありません。貧困や飢えや恐怖に晒され、肉親や友人を失ってもなお、何の反省も後悔もなく、好き勝手に生きたふてぶてしい人たちです。
もちろん多くの人たちは人生の計画を狂わされ、翻弄され、その中で何かを学び取って新しい時代を生きようとし、今日まで生きてきました。しかし同じ体験をしたにも関わらず、まったく何も学ばない人たちがいたということは、人間の恐ろしい一面でもあります。私はこういう人たちを「体験を経験にできない人」と呼びます。
さて、まもなく3月11日。東日本大震災から丸1年を迎えます。
東日本大震災の残酷で悲惨な映像は山ほど見てきましたが、そのほとんどは瓦礫の間から、あるいは高台から海の方角にカメラを向けてのものであって、逆に海岸から山の方への写真は案外ありません。なぜないかというと海側から見た風景の中には、ほとんど無傷のまま高台に残る何軒かの家が写っていたりするからです。

昔、黒澤明監督の「天国と地獄」という映画があって、犯人が地獄のようなドヤ街から丘の上の豪邸を見上げる場面がありましたが、それと似て、海岸から高台を写す写真は災害とは異なる悲惨さを映し出します。

それが被災地と私たちの関係です。私たちは何も失わなかったのに、被災地の人々は一切を失ったのです。
(ただしもちろんそれは象徴的な意味であって、被災地の高台の家が何も失わなかったという意味ではありません。写真のあの崖のずっとずっと先に私たちはいるのです)
私たちがどう心を痛めようとも、どれほどの義捐金をつぎ込んでも、その関係はまったく変わりありません。
私は、すべての日本人がこの災害から何かを学ぶべきだと思っています。2011年3月11日を境に、たとえ生き方の一部であっても変わらなければならないと感じています。言うまでもなく、変化はすぐに目に見える形で現れないかもしれません。しかしゆっくりとバイアスをかけ、3・11以前とは異なった方角に自分を変化させていかねばならないと思っているのです。
一周年の今年の3月11日は日曜日です。日本全体で追悼するにはふさわしい曜日ですが、教師が子どもたちに直接指導するには不便な日です。ですから11日を敬虔な気持ちで迎えられるよう、前もって指導しておかなければなりません。週末の朝の会での話、あるいは学年だよりをつかって、改めて地震と津波で亡くなった人々を悼み、震災後の日本をどう生きるか、どう生きようと思うか、考えさせたいと思うのです。
あれほどの災害のあった時代をともに生きながら、子どもたちが何の影響も受けずに育つとしたら、それはあまりにもマヌケです。