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「卒業式について」~本来の様式、あるべき姿

 卒業生と在校生および来賓や保護者が向かい合う小学校の「対面式卒業式」が、ここのところ次第に減ってきているようです。主な原因は対面し続ける卒業生に緊張感に耐えられない子が出てきたこと、特に「せめて卒業式には」と決心した不登校の子にとって、対面式は乗り越えがたいストレスであることなどによると言われています。しかし別な意味で、対面式が下火になることに私は好感を持っています。

 対面式は一方で児童中心主義から、他方で保護者にもっと見やすい場所を提供しようというサービス主義から始まったものです。しかし私は、卒業式というのはそういうものではないように思うのです。

 入学式と違って、卒業式には「卒業証書授与式」という正しい名前があります。ここで理解できるのは、卒業式が「授与する者の式」つまり主体が「卒業証書を与える者」にあるということです。卒業生が主体なわけではありません。

 では誰が「卒業証書を与える者」なのかというと、これは学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)の第28条に「校長は、(各学校種)の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない」とあってだから当然「校長」なのですが、単に法律だけでは説明できない問題があります。それは教育委員会の存在です。

 入学式では来賓の筆頭にある「教育委員会代表」の席が、「卒業証書授与式」では校長の上座にあります。また、かつては卒業式会場まで来賓を引率するのも教育委員会代表の仕事でした。
 現在は「教育委員会の挨拶」と言って普通の話をしますが、かつてこの部分は「教育委員会告辞」といい、さらにその昔は「告示」と表記して、今とはまったく別のことをしていました。私は大人になって一度だけ、正式な「教育委員会告示」聞いたことがありますが、それはこんなものでした。
「平成◯年度、◯◯市立◯◯小学校の卒業生は、男子◯◯名、女子◯◯名、計◯◯名です」
 それでおしまいです。それだけ言って壇を下りました。

「告」は文章として語られるものですが、「告」は全体に知らしめるという意味の法律用語です。したがって上の表現は「本年度は◯◯名を卒業生認め、卒業させます」という意味です。

 また「告示」が卒業証書授与に先立って行われるのは「教育委員会が正式に認めたので校長は堂々と証書を渡せる」という手順を踏んでいるからなのです。
 さらにまた、副校長(教頭)先生の行う「学事報告」も、正式には学校が教育委員会に向けて行うものと解されています。つまり卒業証書授与式は徹頭徹尾、教育委員会が主体なのです。
 ではなぜ教育委員会主体なのか―それは教育委員会が住民の代表者だからです。

 住民を代表して学校を管理監督してきた教育委員会が、最上級生を卒業させるにふさわしいと認め、校長を通じて証書を授与する―それが卒業証書授与式の真の意味です。

 行政は子どもが0歳から18歳まで成長するのに一人当たり1千万円も使うと言われています。小中学校の卒業式はいわばその成長の中間報告であって、学校は住民の代表者たる教育委員会に対して「ここまで教育いたしました」と報告し、卒業生は「皆さまのおかげをもちまして、とりあえずここまで成長することができました」その姿を披露する式なのです。ですから在校生や保護者・来賓との対面式ではだめなのです。卒業生が対面すべきは教育委員会(つまり地域住民)であって、それ以外ではありません。

 ですから私は、卒業生に真摯な態度を望みますし、私もそのように振舞うつもりです。