カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「予言成就」~私は1989年の大変を予言したが、ここまでとは!

 1689年、イングランド王ジェームズ2世が追放され、代わって当時のオランダ共和国より迎えられたウィリアム3世が即位しました。いわゆる名誉革命です。

 翌1689年、新王は議会の王位に対する優位を認めた「権利の宣言」に署名し、同年成文化されて発布されます。これを「権利の章典」といい、今日の英国憲法の基礎となっています。今日2月13日は国王が署名した日、つまり「権利の章典」の誕生日です。

 私は世界史が苦手なのでこの文章も調べながら書いているのですが、注目したいのは1689年という年号そのものです。というのはその100年後の1789年はフランス革命の年、さらにその100年後の1889年は明治憲法の発布の年なのです。明治憲法大日本帝国憲法)は現行憲法に比べると大したものではありませんが、それでも当時としては画期的なほど民主的なものです。つまり1689年から100年ごとに民主主義に関わる大きな事件が続いているのです。

 これに気づいたのは1985年くらいのことです。そこでそのころから「明治憲法発布から100年目の1989年には、民主主義に関わる大事件が起こる」と、あちこちでギャーギャー予言しまくっていました。これを私は「民主主義に関わる事件百年周期説」と呼んでいましたが、真意はこれを言い続けることで、子どもたちが「権利の章典」と「フランス革命」と「明治憲法発布」の年を同時に覚えられると思ったのです。

 ただし本当に1989年が近づくと、少々臆病になって発言のトーンを下げ始めました。ちょうど、そのあと1999年が近づくと誰も「ノストラダムスの予言」のことを言わなくなったり、今年2012年なってから「マヤの予言」について語られなくなったのと同じです(両方とも人類の滅亡を予言している)。

 さて、では私の「民主主義に関わる事件百年周期説」はどうなったか。

 まず最初に、「これは外したな」と思ったのは1989年1月の昭和天皇崩御です。元号も変わるわけですから日本史上の大事件ではありますが、「民主主義に関わる大事件」とは多少異なります。6月に「天安門事件」が起こりますが、中国の民主主義の上では大事件であるにしても、私たちにはさしたる影響もありません。手塚治虫美空ひばりという二つの巨星が落ちたことも、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」というその後の少年犯罪の原点となるような事件が起きたことも、「民主主義に関わる」という点では無視できるものです。

 しかし「ああやっぱり、何も起こらなかった」と思い始めた11月、とんでもないニュースが飛び込んでくるのです。ベルリンの壁の崩壊です。
 今となると記憶もあいまいですが、「ベルリンの壁、崩壊」は、庶民レベルで言うと“突然”やってきました。何の前触れもないのに、ニュースが「今日、ベルリンの壁が崩壊しました」と言い始めたのです。

 それからまたたく間に民主化気分が広がり、チェコスロバキア民主化ルーマニアで“ビロード革命”が起きます。そして12月には「マルタ会談」で東西冷戦の終結が宣言され、歴史が変わります(ソ連崩壊は1991年)。
「民主主義に関わる事件百年周期説」は本当に成就してしまったのです。これには私自身がアングリ口を開けてしまいました。

 あとで考えると、「自衛隊の海外派遣」も「日本国憲法の改正」も年号が“昭和”のうちは絶対に口にすら出せない内容でした。それが平成になってから公然と語られるようになったのですから、1989年は年初めから「民主主義に関わる大事件」が始まっていたのかもしれません。