カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「我がLD」~人の名前や顔が覚えられないことの悲喜劇

 松浦亜弥上戸彩綾戸智恵の区別がつかない(最後の一人はウソ)。紳士服のコマーシャルをやっているのが松浦亜弥だと教えられたのですが、上戸彩もやっていたので混乱がなお大きくなっただけでした。

 篠原涼子米倉涼子広末涼子の区別がつかない(これも最後はウソ)。ついでに似たような役を演じる真木よう子瀬戸朝香が混ざってくると、さらに分からない、そんな状態が長く続きました。
 最近ようやく区別がつくようになりましたが、つい先日、自分が松島奈々子と松たか子をまったく区別していなかったことに気がつきました(「告白」って、どっちが主演したのだっけ?)。

 女優の区別がつかなくても俳優の名前が思い出せなくてもまったく問題はありませんが、しかし生活に関わる人の名前を思い出せないと難しいケースも出てきます。
 学校に物品納入にきてくれたおじさんに「おやTさん、この学校だったかね」と言われ誰か分からずにキョトンとしていると「山崎、7班の班長の山崎だって」とか言われて、どこの班か分からずに面食らったことがあります。だいたい教師がどこかの“班”に属することなど、普通はないのです。だいぶたってから町内の同じ班の山崎さん、つまりご近所だったと分かりました。日曜日に外に出て、そこでばったり合えば間違えるはずのない人です。

 卒業式の前日、証書授与の練習の最中に3年間担任していた児童の名前を言えなくて呆れられたことがあります。いつも呼んでいる名の方は言えたのですが、姓の方が思い出せないのです。「先生、勘弁してよォ」と嘆かれますが、嘆きたいのはこちらも同じです。
 本番は卒業生台帳を見ながらの読み上げなので何とかなるとタカをくくっていたら、前の担任が感極まって台帳を閉じてしまい、そのまま渡された私は子どもの顔を見ながら名前を読み上げ、その間に当該のページを探すという、極めて危険な状況に立たされてしまいました。

 町の祭見物に行って、御輿担ぎの列から抜けてきた男に「おお、来てくれたんだァ」と声をかけられ、それが誰か分からず困ったこともあります。相手もそれと察して驚き、
「おい、大丈夫かよ兄貴、オレ、弟だぞ」
 もうここまでくると、問題外という範疇にも入りません(問題外の外?)。

 どうも私は、人間を周囲の状況とセットにしないと覚えられない(セットで覚えてしまう)ようなのです。A先生は学校に中にいるからA先生なのです。駅にいるA先生はA先生ではありません(というふうになっているらしい)。

 もうひとつ。例えば「優美子」という名の女性は「優しく美しい」という属性を持っていてくれないと頭に入ってきません。人がらの悪い「良一さん」という正反対の属性だとかえって良いのですが、中途半端な名前は入ってきません。

 かくて本当に覚えなければならない人の名は、とんでもない方法で記憶につなげることになります。

 例えば、
 ゴリラみたいな太田さんは「赤ちゃんを背負うゴリラ」のイメージで記憶します(負うた《太田》子に教えられる)、
 和風美人の稲葉さんにはバニーガールの衣装を着せます(バニー《因幡の白兎》=稲葉さん)。
 がっちりした中山さんは孫文のイメージを重ねます(孫文の号は中山《ちゅうざん》と言います)。問題を複雑にするとむしろ記憶しやすいのです。

「ほんとうにオレ、何やってるんだろう」というような話ですが、できないものはできないのです。