カイト・カフェ

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「十干十二支(じっかんじゅうにし)の話」~やたら使っているのに意味を知らない言葉

 今日、2011年11月11日は並べてみると20のうしろに1が6個もつく日です(だからどうということもありませんが)。

 西暦というのはイエス・キリストが生まれた(と信じられた)年を元年として、延々と受け継がれた年の数え方です。日本では明治初頭より採用されましたが、それ以前は元治元年だとか慶応4年だとか、年号に合わせて年を繰っていました。
 ただし明治より前は吉凶に応じてしょっちゅう年号が変わりましたから、20〜30年昔のことでも逆算するのがとても面倒だったのです。そこで古来より十干十二支(じっかんじゅうにし)という別の数え方が併用されました。これは陰陽道からきたものです。

 陰陽道ではすべの事物は「木火土金水(もっかどこんすい)」から成るという一種の唯物論の立場をとります。この五大がそれぞれ陰(暗く、弱く、静か)と陽(明るく、強く、活動的)のいずれかの性質を持って複雑に噛み合ったのが世界なのです。また、陰は「月、弟、女性」などになぞらえ、陽は「太陽、兄、男性」などになぞらえて性質を現すのが通例で、例えば「木」が陰の性質を示すときは「木の弟(きのと)」、陽の性質を示すときは「木の兄(きのえ)」と表しました。

 陰陽(兄弟=えと)×五大で10種類。これを十干(じっかん)と言い「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10個の漢字に当てはめます。読みは「こう・おつ・へい・てい・ぼ・きこう・しん・じん・き」なのですが、それぞれ「きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・みずのえ・みずのと」とも読み、「木の兄(きのえ)」や「水の弟(みずのと)」を意味します。

 この十干に十二支を組み合わせるとその数は10×12で60通りになり、60年分の年を表すことができます。組み合わせるというのは最初の年を「甲(きのえ)+子(ね)」翌年を「乙(きのと)+丑(うし)」と順に組み合わせていき最後の「癸(みずのえ)酉(とり)」になったら十干を最初の「甲(きのえ)」に戻すわけです。

 ただし十二支の方はまだ余っていますから、最初から11年目は「甲(きのえ)戌(いぬ)」、12年目が「乙(きのと)亥(い)」となり、翌年十二支の方が最初に戻りますので「ひのえ(丙)子(ね)」となるのです。この組み合わせは60年たってやっともとに戻ります。例えば「庚午(かのえうま)」の年に生まれた人は60年後にもとの「庚午」に戻るわけです。これを「暦が元に還った」つまり「還暦」と言い、赤ちゃんと同じ状況に戻ったので赤いちゃんちゃんこを着て祝ったりします。

 こうしたことは別に知っていなくてもいいのですが、唯一知っていると便利なことがあります。それは歴史に出てくる「壬申(じんしん)の乱)」や「庚午年籍(こうごねんじゃく)」、「庚申(こうしん)事変」「戊辰(ぼしん)戦争」の「壬申」や「庚午」は単に起こった年を表すだけの、何の意味もない言葉と分かるからです。「壬申の乱」は「みずのえ・さる」の年に起こり、「戊辰戦争」は「つちのえ・たつ」の年におこりました。

 甲子園球場は「かのえ・ね」の年につくられました。また、昔は「かのえ・さる(庚申)」の夜は人の体内から三尸(さんし)という虫が出てきて、天帝にその人の悪事を報告しに行くというので、夜通し眠らないで宴会をする風習がありました。
 これを庚申講と言い、3年18回続けた記念に石碑を建てたりしました。これを庚申塚と言います。

 見たことありますよね。

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 ついでに「丙午(ひのえうま)」ですが、「午の刻」は昼の12時、「午の方角」は南、つまり暑い時刻の暑い方角で、それに「火の兄(ひのえ)」がつくわけですから激しさの4乗くらいになります。そこから「丙午」に生まれた女の子は男を食い殺すという伝説が作られ、1966年生まれの人口が極端に少なくなっているのはそのためです。以前にも書きましたが、それとて明治以来の迷信で、これがひっかかったのは過去2回だけだそうです。