カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子どもを見守ると言うこと」~竿灯と同じ要領です

 秋田に竿灯という、たくさんの提灯をつけた竿を立てるお祭りがあります。
 私はあんなふうに手や肩の上に棒を立てるのが得意です。アゴでも額でもできます。棒状のものでなくても、椅子でも机でも、ある程度の大きさと適度な重さのものなら何でも立てることができます。そして最近やろうと思っているのは、手や肩ではなく、すっと伸ばした足の甲の上で棒を立てることです。

 棒を立てるための練習は、手を添えて足の甲の上に棒を立て、ちょっと手を離してみるということを繰り返します。倒れそうだったら手を添えて形勢を立て直します。そして手の中で平衡を十分にとって、またゆっくりと離してみます。倒れそうだったらまた押さえますが、うまく行きそうだったら0.1秒でも長く我慢するようにします。

 大切なことは、いつでも触れるように棒の側に手を置いておくこと。うまくなるにしたがって、手は棒から少しずつ離すようにしますが、決して注意は怠ってはいけません。

  1. 初心者のときから「棒よ、立て!」とか言っていきなり手を離してはいけません。
  2. 倒れたら拾ってやり直し、倒れたら拾ってやり直し・・・という練習もあるかもしれませんが、それでは棒が傷みますし、こちらも消耗が激しくてかないません。
  3. だからと言って、棒をがっちり握っていたら、棒が自立することは絶対ないのです。

 子どもをいきなり一人立ちさせようと放り出すのは育児放棄と一緒です。
 日ごろは放ったらかしておいて何か問題を起こすと全力で建て直し・・・こういう繰り返しは、お互いに不幸です(それでもいつかは独り立ちするかもしれませんが)。倒れないようにとがっちり囲い込んだら、それこそ絶対に独り立ちなんかできません。

 子どもに寄り添う、子どもを見守る、という言い方がありますが、それはこんなふうにいつも側にいて、必要に応じて手を出し、必要に応じて手を出さないよう我慢することを言います。