カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「現代の教師」~優秀でない、わけがないじゃん!

 土曜日に近所の寄り合いあって、そのあと会食ということになりました。もちろん酒席です。そのとき隣りに座った区長さんからこんな話がありました。
「やはり最近の先生は、昔に比べると子どもの指導ができなくなってるんですかねえ」
 私にとっては待ってましたといった話題なので、失礼のない範囲で一気にまくしたてました。

 現代の教師が優秀でなければ、数百年先も優秀な教師など一人も出てきません。特に平成不況以来教員になった人たちはとんでもない競争率を勝ち抜いてきた、教員志望者としてはトップ・エリートなのですから優秀でないわけはないのです。
 もしそれ以上を望み、義務教育の教員を東大・京大の卒業生レベルで埋めるとしたら、その待遇を根本的に変えなければならなくなります。外資系企業なみの給与と潤沢な休暇を用意すればそれもできるかもしれませんが、今の財政状況ではとても無理でしょう。

 昔の教師が優秀だったなんて嘘っぱちです。明治時代なら坊ちゃんや野だいこやうらなりみたいな人でも教員が勤まりました。『二十四の瞳』の大石先生なんてビービー泣きながら子どものあとを追いかけて行くだけの、今日でいえばあっという間に学級崩壊を起こすような問題教師ですが、まるで教師の鑑のように崇められています。

 もちろん暴力による強制も『教師の教育力』に含めるなら、昔の教員には圧倒的な教育力がありました。私の中学校時代には前歯を折られたり鼓膜を破られた同級生が何人かいましたが、そんな犠牲者を横目に見ながら、私たちはじっと静かにしていたのです(静かにしていたので勉強もよく分かった、体罰が怖かったので宿題もよくやった。そしてさらし者になりたくないからより高い成績を取ろうとした)。

 しかし現代の教師に鉄拳も根性棒なく、罵声を上げることも嘲笑することもなしに、誠実な言葉だけで子どもを動かそうとするからたいへんです。
 おまけに生活科や小学校英語、総合的な学習など次から次へと新しい教科ができ、キャリア教育・環境教育・人権教育・コンピュータ教育と、教えなければならないことはいくらでも増えてきます。
 不登校対策・非行対策・保護者対策・議会対策。それを全部やっている。
 こんなこと吉田松陰だってできなかったかもしれません。

 現代の教師は昔と比較にならないほど優秀です。しかし武器を奪われ仕事を増やされ、おまけに敵が増強されたのでその点、相対的に教育力は落ちたように見えるのかもしれません。

 ただしそうした教員を叩き続ければ、何パーセントかの教員は意欲を失い、多くの若者が教職に就くことをためらうようになるかもしれません。そうなると今度はほんとうに、教師の教育力は限りなく落ちていくはずです。