「寝たきり老人をなくす運動」という言葉を聞いたとき、からかい半分に「オイ、オイ、無理やり起こして歩かせるのかよ」と言ったら本当にそういう運動でびっくりしました。動くのが億劫になった老人が「寝たきり」にならないよう外に連れ出す、といったことのようです。新規の寝たきり老人を出さなければ、いつかこの世から寝たきり老人は一人もいなくなるという考え方です。
先日の講演会で、面白い話を聞きました。
最近ウナギの産卵地が突き止められたというニュースがありましたが、ウナギがどこで卵を産んでいるかは長く謎でした。そのためウナギの養殖は卵を採取して孵化させるのではなく、カナダ付近で捕らえた稚魚を輸入し、それを育てる形でしかできなかったそうです。ところがこの稚魚の輸入というのが厄介で、特別な水槽を使っても日本までの空輸で7〜8割が死んでしまうのです。非常に効率が悪い話です(だから本当は卵のかたちで輸入したい)。
ところが世の中には知恵者・経験者はいるもので、「俺たちゃ、ナマズを入れたぜ」という話が出てきて、実際にナマズを一匹入れたら8割もの稚魚が日本に到着したといいます。もちろん残りの2割は食べられてしまったのですが。
つまり7〜8時間もの輸送時間のあいだ、ウナギの稚魚たちは必死にナマズから逃げ回り頑張っていたのです。頑張っていたからこそ生きていられたのであり、のぺーっとしてたら大半は死んでしまうのです。
不登校の指導について、「学校に登校させることが目的ではない」といった言い方があります。もちろんそうです。
しかしその子が「生き生きと」学校に来るようになったら、不登校は一応の終了と考えてよいでしょう。そんなふうに考えないといつまでも通常の生活に戻れません。その先で問題が発生したら、その時にまた考えればいいことです。
そして「生き生きと」学校に来られるためには、とりあえず(生き生きでなくても)学校に来ていなければなりません。家にいても学校の良さや楽しさが分かるはずはないからです。
もちろん学校に行こうとするとゲーゲー吐いてしまうような子まで寄こせとはいいません。しかし動けるなら、動かさないと始まらないのです。
「ゆっくり待ちましょう」「エネルギーの溜まるのを待ちましょう」そんな言い方で子どもを家に置き去りにし、《今さら学校に行けない》ところまで放置してしまった例を私はたくさん見てきました。
学校にはけっこう生きのいいナマズが何匹かいます。他の友だちの一緒にそのナマズから逃げ回っていることが、本当は身体にも心にもいいのです。